介護疲れで家族を殺す!

安っぽい同情は禁物です。
家族が自分以外不自由していて、自分が介護をしないといけない!
介護するんですが、一人ではできない事です

まず、やろうと思えばできますが、介護に携わっている間の
ストレスはどうしますすか?
ストレスを蓄積すると誰でも精神的な病気に陥ってしまいますよ
独りで介護など、安易な考えで、必ず挫折します

家族の介護を一人で背負っては、清水由紀子さんのように
今辛い人生、から逃げ出したくなってしまいます。

自分を死なせて逃げ出せたと思ったら大間違い!

彼女は大自然の摂理を超えてしまい、それだけの懺悔をしないと
死んでからも浮かばれません!

この理屈以前に、知識のない人は自分の危機が迫っている時に
パニック化してしまい、心に陽は射してきません

自滅の世界へ突入してしまいます。

そう自滅の道しか目の前に開いてないのです

それは本人のせいです。

本人が、自分の守護霊の力も信用せず、神の心も知らず
自分だけがなんで苦労しているのかと! 嘆いてしまったまま
自分という強力な意識があって

それは、どんな精霊でもその人の心の世界には入れません

手出しができない、霊は生きている人の意識を超えられないのです

その対照的に

心に神を持つ人は、いろんな精霊と対話ができるのです。

そして

理解ができます。

この違いは大きいですよ

だから、当方は心の中に神様がいる人と、いない人とでは
雲泥の差があるというのです

それは明らかです。

違いは、悩みなどは普通に悩むが

深い悩みなど、命に関わる悩みなどは自分自身が悩んでいても解決はできません

だからこそ、神様にすべてをゆだねるのです。

自分一人で解決できるほど人間出来ていませんよ!

当方は、生まれて育ってきたままの人間ではないです

その道中、自損事故で大怪我をして、悪い事をしてきた天罰だと自覚しました

誰も見ていないからと悪事を行っていても、目に見えない神様が見ておられる

と19歳の頃に自覚しました。

それから、人の物を盗るようなことはしていません

若干二十歳の頃は、環境ゆえ 社部とかやったことはあるが

人生上の29歳の夏

神に試された期間は当方の人生の分岐点だった

神を信じる

当方現世での宗教人ではないが 心の修業僧です

今でもですよ 心に神様と周りに精霊が付いているし

最近ではマリア様も来ています(*^-^*)

心は凄くクリーンでマリア様を通して永遠の恋人を見ています

こんな当方の心の環境から

家族が自分以外不自由して面倒を見ないと生きられないというステージは
己の因果からくるもので、ただ、負の世界が必然的に発生している現象です

あなたに相応しい環境が出現している

見未熟な魂はそれを嫌い逃げたがるのです。

ですから、そういう人を同情しても意味ないです。

本当に人の為に一生懸命になる人は

幸を呼びます。

一番いい方法を、自分のまわりに付いている守護霊 背後霊 精霊
などが結束し合い 指導して幸運を呼ぶんですが

負に終わる人は、元々値がない

もし同情するなら 一生懸命に介護をして自分自身が病気に倒れてしまったという運命をたどったj人なら大いに同情しましょう

人を、家族を自分が楽になりたい衝動で殺した人を同情してはいけない
他にいくらでも介護の方法はあったはずなのです。

犯罪に手を染めた人に同情をするよりも、

見本になってはいけないことの事象として受け止めて

自分自身が将来介護苦でそうならないように悪い事象として

学んでほしい

 

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