ふと思った事2

何かの拍子に耳石が剥がれ落ちると
物凄いめまいに襲われます

もう ぐるぐる回って起き上がれなくなるほどのめまいです!
はじめて経験すると、物凄く心配 不安になります。

その突発的な病名は → 良性発作性頭位めまい症

今の時代 耳鼻科が幾分進歩したから こんな病名が付いたんですよ!
当方の26歳の頃は

このめまいが原因不明で
大学病院4件くらい行ってめまいの検査をしても原因不明!
中には日本大学板橋病院では検査の為に耳の奥深く鼓膜まで水を注入させて人口的なめまいを起させてtestしたりされました。
ぐるぐる天井が回転しました\(◎o◎)/!

しかしその当時に 良性発作性頭位めまい症と言う病名はないです

原因がわからないので
なんとか症候群 例えば

頸肩腕症候群とかメニエール病とかいい加減な病名を当てられます。

そういう無知な時代でした。

よって、飲まなくても良い処方箋を与えられて飲み続けるという悪循環で
薬毒弱体化 弱神経 神経過敏症 の道へと下って行ったわけです

実は

その昔 原因不明だった めまいの勃発点は 海だったのです!

あの頃は、心身的にも負のものが重なってしまったのです

 

26歳の頃 世の中は輸出不良でリストラが流行った時期でした 海外向け製品製造業の落ち込み

工場で働く者たちの大規模リストラです

自分もリストラされる?と思いながら従事したりしていて心労は隠せなかったと思う
しかし派遣員だったので、リストラされても失業とはならないが
第1次リストラで80名とか
第1次リストラでは免れて
というような環境でした

仕事は工業向けロボット製作で当方配管製造を担当
油圧式の配管です
当方の性格上 配管製作に根を詰めていて 10分間のタバコ休憩でも頭が
ぼ~~と飛びそうな感覚
残業する5時20分間の休憩時に外へ出て芝生で寝ていると かなり神経がすり減っているようで 限界にきたしていた

そんな頃に週末の土曜~日曜の休みに 独りで、基本独りの行動です
海水浴の為 江の島へ電車で行った時の事

当方、本当に異常なんですよ(;^_^A

砂浜から午前11時に海の中へ入り リーフを越えて仰向けで浮いていたんです
呼吸法で泳がなくても長時間浮いていられます。

リーフを越えた付近は誰もいなくて
回りは当方だけ 草原にただ一人寝転ぶ と同じ
大海原に大の字で寝ころがって太陽に向かっている 音が静かで凄く気持ちが良いのです

癒されるんですよ

3時間半大の字で寝そべっていたのです

途中 ライフセーバーたちがボートで当方の側に来ました 救助しに来たんですよ
当方が長時間大の字で浮いていたもんで(;^_^A

寝ているところボートの接近に気が付いて 音が聞こえないんですよ 耳の中に
海水が少し入ったままなので
で、ボートの方を見ると 3人だったと思う 顔見合わせて大笑いしていました

もう確実に溺死者と思って駆けつけてきたんだろうと思う

そして、自宅に帰って 電車は3本乗り継いで

実家で独り寛いでいた
その時に 異変が 頭を大ハンマーで叩かれた感覚から 顔を上げられなくなって
グラグラしてきて
恐怖心が湧いてきました

近くの耳鼻科を探して頭上げられない状態でやっとの思いで病院へ受診
土曜日の午後なので
そこは総合病院で耳鼻科の先生が居ないので
大事を取って入院

これがはじまり

確かのこの頃は、神経を病んでいた 自律神経失調症です まだ病院へは行ってない頃

そこへ、長時間海に浸かり 中耳まで海水が入り
耳石が剥がれ落ちたことで
この頃病名があったら→良性発作性頭位めまい症 と言われていたと思う

この頃、原因不明ですよ

この原因不明のめまいが、自律神経失調症と重なってしまった事で 大変な人生行路
となってしまった。

独りで悩んで、また色んな大学病院へ行っても検査のみで治療までは行けず
やっと探し当てて処方箋をくれる病院へ到達したのが運の尽き

3年半山口病院というところへ通ってからが
薬漬けです

ここの病院は緊急指定病院だが小さな病院で
院長が一人 他の医師はバイトでくるような医師で

3年半通ったが主治医はいませんでした
だから 薬漬けになったわけです

病院へ具合が悪くて行くと ぶっとい血管注射と筋肉注射の2本を打ちます
血管注射を打つと
これまじヒロポン状態です 注射針から血管へ薬を注入すると その瞬間から
具合の悪さが取れて来るのです頭の生え際が逆立つ感覚で
気分が爽快となるのです

単純に考えても血管の中の疲労物質を薬剤で溶かすという作用だと思うが
又は、辛い自覚症状を抑える薬

これを打ちに通っていたようなもんです。

具合が悪いと歩行困難になるので
また電車にも乗れない 人込みがダメです パニック障害に陥りそう
心臓がバクバク 1分間で脈拍が100超えます

下車してタクシーを拾って病院へ駆けつけて 注射を打って貰うと
即効に良くなる

しかしどんどん薬が効かなくなるんですよ

気分が良い時間がどんどん短くなってゆくんです

半日持たなくなります

もちろん仕事をしていたが 早退がでてきた

29歳 もう~限界

今までやってきた薬を 金輪際飲まない 打たない!と決心!

薬をやめた禁断症状は 言葉では表せないですよ  地獄です

その地獄を現に体験しながらも 薬に走らなかったのです

誰も、居ないです 当方のまわりには 会社と仕事 相談できる人はなし

全部自分の判断

いや、1名だけ当方の味方がいました

それは、会社の課長で当方をバックアップしてくれた方です この人当方の救世主
ですよ

会社の責任者で当方を職人へ引き上げてくれた人です

奥さんと二人暮らしで、奥さんが自律神経失調症で
夜中息ができないと救急搬送されたくらいで
当方のこの状態を理解してくれていた方です

当方も仕事ができ居なくなり 毎日具合の悪さの頂点と闘っていた
その頃は一人ではなく 新興宗教に入会していて

今考えても、この時のこの環境があったからこそ! 当方は立ち直れたんだと思う
感謝です

3ヵ月も失業してもうお金も底ついて
一日500円のコンビニ弁当のみで生活

元の職人は諦めていて
日払いのバイト8千円を稼ぐために バイトしたが
態度が悪いって目の前の工具箱を当方の方へ蹴とばされて
それでも我慢
自分よりも若い 職人崩れ

その相棒の当方より年配の職人に 仕事が終わった頃の挨拶に
今日は身の引き締まる思いをしました
ありがとうございました。

と頭を下げました。

8000円稼ぐのに 本当は当方はバリバリの職人なんだが

当時は15000円人工の職人でした。

仕事ができなくなり 3ヵ月経過する中で

会社の課長から復帰して欲しいと 何度か連らくがあったが

とてもではないが、具合が悪くてむり

1度何度も頼まれてOKしたが 仕事の当日やはり無理なので、ドタキャン
したことで

いままのでやってきた仲間だった奴から 酔った勢いで
クレームの電話が来たことがあった

偉そうに 予定しているんだから迷惑だ!と 運転手に言われ
腹の底から煮えくり返ったが

3ヵ月後 課長は当方に戻ってきてほしいと 諦めずに 連絡してくれて

新興宗教の世話人からもそろそろ仕事をしたらと言われて

職人の復帰を求められたまま承諾し

生活費を7万円貰って

仕事に復帰したのでした 7万円は月々の賃金から天引きと

すべて課長の一存で 復帰ができたわけです

当方は今後具合が悪くても、休まないと心に誓ったのです
休んだらおしまい て

それから、本当に無欠勤で通してきました

仕事を実際やっている時は集中しているので、自覚症状の辛さが軽減できたのです

普通のサラリーマンでは復帰は不可能だったが

外の仕事で気晴らしにもなるし

賃金がすぐに溜まるので、生活に困ることはなかった

こんな持病をもって

高所作業職

平衡感覚は確実に必要な職種なんだが

平衡感覚が悪い(;^_^A

よくやって来れたと思う

当時の課長 斎藤さん ムーミンのような性質でほんと良い人でした。

こんな登場人物はやはりソウルメイトなんだなと思う

当方の若かりし頃 この人が居なかったら 職人もその頃で終わったけど

50歳近くまで

従事する会社が自体がリストラで水面下へ落とされても

その会社を背負って暫くその職人職を従事してこれた 会社最後の人間で終われたことは

課長に感謝ですよ!

多分当方より14~5歳年上の方だろうと思う

当方の技量を一番買っていた方です

当方が仕事ができなくなって

臨時に雇った職人崩れたちが やくざ者で現場がめちゃくちゃになっている
という事で

当方に何度も復帰を求めていたわけです

当方が復帰してから

このやくざ者たちは自然消滅していきました。

一人は、当方より10歳年上だったが

この会社での職人として残るのは自分ではないと把握されて
そのうち出てこなくなった

当方はここの会社で孫請けの会社のバイトで仕事をしていたのです
日当8千円で
26歳の頃 社員の運転手の助手が多く

そのうち一人で現場を任されと言うながれで

従事3か月後に引き抜きで会社直の職人となったのです
つまり一人親方です。

それから50歳までって凄いよね(;^_^A

当時の斎藤課長より長い

職人職は自分で辞めたわけではないが、会社自体が親会社の社長によって
潰されて
いや2億3億の親会社から借金があるので潰せず
ただ水面下 会社組織を停止しらだけで

その後当方は生きる生き字引なので
安上がりな在日の建付け職の者を当てがえられて 仕事を覚えさせる
という役割で使われ

仕事がもう打ち止めされたという流れです

その頃の当方の職人単価は2万円

業界はせいぜい1.6が相場

月給30万円でって話はあったが 当方断ったのです

あくまでも当方は職人だと!

最近スカウトした運転手と同じだと 縦の関係が築けない

だったら 行く末 職人として終わった方が良いという考えでした。

プライドです

やはり ペイペイ時期を越えて 職人単価も そのキャリアによって
少しづつ上がってきたわけで

13からスタートで 14 15 16 18 19800円とか 20000円 と
こう団を踏んできているので

リストラのさなか、残るには月給30万円固定

まず、今まで一生懸命無欠勤でやってきた者にしては、自分の価値を下げられないのです

6歳上の先輩が居たが、この人は職人単価当方と千円違いで職長の資格で割増だったと思うが

1週間のうち、ドタキャンが3日とか 当方より稼ぎが無かったわけで
こういう人は月給制30万円は好都合なわけで

先輩は移行してゆきました。
この人はやくざに加入しているんだが、世渡りがうまいです

行く末社員途上し 定年を迎えたと思う

定年でおしまいです

もう格納工場には本職の機材はすべて売り飛ばしているので
定年後の延長はなかったと思う

この人は若い頃にタクシードライバーをされていて

財布が落ちていて 中身だけ抜いて 財布は捨てたと 言っていたので
そういう人間ですよ(;^_^A

仕事に出てきて、リーダーでやっている時は、当方は本当に楽なんですよ
頼りになるので

人間性も良い人ですよ
しかし 酒を飲むと も~大変です\(◎o◎)/! 甲州街道の3車線中央へ出て
トレーラーを止めてしまう!
おい! このやろ~~!と
飲んでて

営業の話になって その営業をその場からタクシーに乗ってお店に連れてきて
しまいには首絞めて なにこのやろ~
こういうタイプ何ていったっけ?

あ、そうそう 酒乱 そう 酒乱です  人が変わる

普段大人しめなんだが 素面でも、怒らすと半端じゃなく また口が達者なんで
脅かしは最高に利くね

当方も飲むの大好きなんで
よく飲んでいた 同じ11月生まれで 似ててわかるんだよね

当方には1歩置いていたよ 仕事にしても

長い付き合いだったが口論したこともないし

むしろ 営業に当方がマジに切れて 指一本触れてきたら病院へ送ってやるぞ!
と酒の席で当方が言った時に

やくざの先輩にしょうちゃんもやめなよ!と止められたくらいです

思い出すと懐かしいね(*^-^*)

 

 

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