59年目の命日

当方の父の命日で、当方は当時まだ5歳
父33歳

今まだ早朝5時前の書き込みなので
メモリアルステージに向き合ってないが

父の遺影は凄く小さな遺影です、 父の写真は人生いろいろあってこれ1枚しかない

なぜ1枚しかないの?
と話せば長い話があるんですよ(;^_^A

当方5歳なので、父の記憶はほとんどないです

断片的な記憶は、近所の遊び友達で女の子と喧嘩して、泣いて戻ってくると
玄関先で父が上がらせてくれず、泣いて帰ってくるな!
負かして来い!

と、叱られて 泣きながら また女の子の家に行ってリベンジして
負かしてきたぞ! という感じで戻ってきた

2件目の断片は、今で父と知り合いが晩酌をする席で、父の胡坐にいて、水と間違いお酒を飲んで 苦い~

その時に父の指輪を興味深く見て、触っていて
父が、オニキスの黒い石にお酒の水溜りを作って見せた 石は四角く平らで
水滴を垂らして水の表面張力の不思議さを見せてくれていた

その時に当方は、珍しそうに見ていて、父にこう言った!

おとうちゃんがもし死んだら、この指輪頂戴!

3件目の断片

父の葬式に参列していて、父の眠る顔とみて

すぐ下の従兄と顔を見合わせて笑ったりしていた

なぜ笑ったのか? 当時当方の心の中では、死が何なのか分からず

悲しもどころか、父がいなくなることを 怖い父がいなくなってホッとしたような心持があったと思う

なので、父が亡くなって悲しんだことはない!

父がいないということがごく自然な人生を歩んできたと思う

幼少時代の記憶はこれくらいにして

あ、父の遺影は、当方が二十歳の頃に生まれ故郷へ出向いてそこの仏壇に飾る遺影を撮影してきたものです。

なぜアルバムがないかは
実は、当方の中1まで幼少時f代のアルバムが存在していた

ところが、母の再婚相手から逃げてきた時に、置いてきてしまったのでした。

逃げる時に、母は実用品を両手に手提げ袋いっぱい持ってきた状態で親子3人

路頭に迷った日があった

母親は神奈川に住む弟の所へ行こうとしていたが、横浜界隈で到達できず

道端で占い師に手相を見てもらったり 身の上話を占い師に言うと

面倒見ますと、占い師の商売道具を片付けようとしているところで

危険を感じて さらに逃げ出してと その晩は素泊まりの旅館に親子3人泊ったのでした。

再婚2面目のことでした。

再婚相手は、母よりも10歳上で 狸のような体系の坊主男

母はママと言っていたので 無理やりパパと呼ばせていた キャンブル狂 賭け事ばかり

母は水商売でカモにされたのです 身の上話をペラペラ喋るので

父の保険金の話とかを 多分語ったおかげで

早く子供を引き取る為に 焦っていたのか?

ギャンブル狂が父の保険金をすべて使いこんで しまいには暴力を振るうようになり

怖くなって裸で逃げ出した

当方の記憶の断片では、次に6畳一間に家族3人住むこととなり

1畳スペースにカーテンを取り付けて当方の部屋とした風景

後に勉強机が姉と当方のと二つ返却 父の仏壇も返却されて 勉強机の下の空間が当方の唯一の部屋

次に 6畳と3畳板の間流しと共同トイレの貸し間に移った後は

都営団地の抽選に当たり

3DKの間取りの都営団地9階に住むこととなり、母親は45年間住むこととなる

その唯一の母のお城で、当方は昨年看取りました。

母は、水商売 いわゆるホステス業から マネキン販売員を経て 国民年印が降りる60歳代から78歳まで渋谷の各種学校等の清掃パートを従事

91歳まで単身生活ご 認知症 ゴキブリ ごみ溜め部屋となり

当方がこれではいけないと、面倒をみえるようになる

介護保険制度を申請

介護保険制度を申請する前は、母親は両目の白内障で、ほとんど見れないのに

それでも、スーパーへ買い物に行ったりと 自活していた

白内障でも、いきなり幕が張って見えなくなるわけではなく、不便さが気が付かない速度で白内障が進行してきたことで

ボケて見えなくても、感覚で生活ができていたわけです。

こればかりは、本人が目が不自由だと訴えないと他人には状態が分からないものです。

しかし、いつか目の周りの皮膚が赤くなっていたのを心配して、眼科へ連れて行って、はじめて白内障進行と把握できたのでした。

高齢ということもあり、大事を取ってが医学病院への紹介状を頂き

入院3泊4日で両目の白内障の手術を受けた

その頃に、腎臓の数値が悪いと はじめて知ったのでした。

運命の主治医に出会うまでは、母親の環境はそれは大変なものでした

セコム緊急通報~入院  エスカレーター転倒 救急搬送 夜9時過ぎに迎えに行ったり

十二指腸穿孔 で緊急入院 緊急手術

姉が関西地方に住んでいるところ母親との電話で血圧が高いと緊急通報 入院

入退院が頻繁に起こっていたコロナ渦時代

面会も容易ではない

入院すると どんどん認知症が進んでいった

振り返れば 激動な時f代だったが

腎臓内科の主治医にであって 往診してもらえるようになり

確かな処方箋をもって

安定した晩年だったと思う

この当方の気持ちは、主治医に伝えて、お礼を言っています

2021年9月からの往診だったので、まるまる1年

腎不全の先を主治医を相談 1年前からコースを選らびました

10月に、来年の今ごろまで まだこんな風景がありますか?の問いに

首を振られました 難しいです。

ということは、命が持たない

腎不全の進行は、行く末は透析をしないと生きて行けません

透析となると、病院へ定期的に通ってベッドに6時間は横たわって血液をろ過

しかし、年齢も90歳過ぎと認知症が進んだ状態では、危険と 透析は
心臓に負担がかかるので

延命にはあまり意味がない

コースは、このまま往診 ケアを続けて 45年住み慣れた母親のお城で

逝ってもらえればそれは幸せな事だと思う

主治医も息子さんの側のついているのが一番良いですね と

施設とか病院とか入院しても 医療的にやることがない

当方も

この腎臓内科の院長先生が運命の方だと思っているので

母親が生きている以上 絶対に切れない方だと思っていたので

自然死を選びました

息子の当方の手から母親を放したくなかったのです

母親との最期は、やはり 看取りです。

もう医療を超えた寿命なので

それを、姉は理解できなかったのです。

なぜ理解できないかは、やはり思考が当方の思考とズレているし

遠方で座ったままの思考観念だったからです。

介護現場にきて、母親の面倒を見ていたら 当方と気持ちも結束

出来ただろうと思う

すべては終わった話だが

今年9月で母親の一周忌なので 大切な時期の過去を振り返り思えばそれも供養となるだろう

 

父の死は
建国記念日の未明 交差点で東京大田区の大型冷凍車に突っ込み首の骨を折り即死

そう、当日 父の葬式前に 父の事故のニュースをテレビで見た

フロントは滅茶苦茶だった

顎がパックリ割れていたので ハンドルに顎をぶつけて首の骨を折っての即死

女性が同乗していて助かったと言われていた

父は、跡取り息子として旅館の館主と、駅周辺でスナック経営をしていて

の2月11日 未明

飲酒運転だったのだろう 大昔はさほど規制がなかっただろうと思うが

父の葬式で小柄で綺麗な女性が横たわる父に向けて

罵声を飛ばし 小銭を投げたシーンは

きっと 父の愛人だったのだろうと 大人になってこの記憶の断片が

理解できたのだった…

人生いろいろだな~(^。^)y-.。o○

 

ちなみに、当方は昔しっから 当方には精霊が宿っていると思い続けてきているんだが

精霊=守護霊

父の霊は感じたことはないが

もしかして 守護霊か?

当方は父と誕生日が1日違いで 性質なども同じ 正義感も同じ
怒りっぽいのも同じ

顔も似ている(;^_^A

父が受刑1年、反省した日々を1年過ごした後の子供なので

父の霊は 当方を守護している役目を頂いているのかもしれないな

父親の霊が付いているって思ったことがないんだが

59年間当方を守護する精霊となっていたのかもしれない

ここまで気が付く段階は

今まで灯台もと暗しで だんだん足元付近が明るくなってきたってことだね

 

・・・・・

今、9:22分 母親の墓参りから戻ってきたところだが

薄々感じていたことを今、述べてみよう

実は母親の再婚相手は、ギャンブル狂の結婚詐欺しと当方はずっと烙印を押していたが

今ふと理解ができたのだ!

再婚相手は、ただの結婚詐欺師ではなく、やはり母親を慕っていたのだろうと思う

思えるのです

家族3人で逃げ出した後は、居所不明として後に離婚調停をしていたが
当方達の居所を突き止めるために 当方達 姉と弟 中1と中3が通う学校へ
押し込んできたのです

睡眠薬を大量に飲んで死ぬぞ!と脅かして、居所を聞き出そうとし 警察沙汰となったわけです。

当方と姉は授業中校長室へ呼ばれ、秘かに自宅へ帰ったのです。

ここで、ふと考えて

再婚相手は、たったの2年間

当方達姉弟が母親の実家に預けられていた茨城県から上京して母親と生活がスタートした頃は、当方小4

当方は小4から母親と生活がスタートして転校5校しているのです

つまり、再婚相手と同居してから引っ越しを2年間で14回

次第に家財道具がどんどんなくなっていった すべて質に入れる始末

姉のエレクトーンも、母親と祖母がお金を出し合って買ってあげたエレクトーン
姉はエレクトーンコンクールで何か賞を頂いたが
そのエレクトーンまで質に入れるしますで お金を借りるのではなく 売りです

ある時不満を再婚相手に訴えた時に、革靴のまま部屋にあがってきて
母親を蹴り飛ばしたのです

内側の太腿を蹴り飛ばされて、当方も危険を感じ

再婚相手に泣きながら飛び掛かってゆきました

おとなしい当方が、再婚相手もそれは驚いた様子だった

その後隙を見て親子3人紙袋に必需品を入れて逃げ出した

で今、ふと思うと、再婚相手は完全なる結婚詐欺師でもなかった

母親を確かに好いていて再婚したのだと 気が付きました

なぜ言えるのかは?

これが、頭かしげるが(;^_^A

再婚相手の姓は鈴木で

当方達は2年間だけ再婚相手の籍に入り、鈴木を名乗っていた

中2 中3時代は鈴木でした。

そして、完全に離婚ができて やがて都営住宅へ母子家庭3人入ることとなり

24歳の姉は、そこから嫁に行きました

以前の鈴木からまた元に戻ったが 結婚相手は、なんと鈴木

日本には確かに鈴木の姓が多いが、姉はまた鈴木になったのだ\(◎o◎)/!

そして、おふくろさんの唯一の年の離れた妹 19歳下の妹は、母親の旧姓でもある小川から
なんと、嫁入り先は鈴木

そういう偶然もあるだろう~~!

さて、今度の事象は、またそういう偶然もあるだろう~って簡単に言えるのか?

母親が亡くなった当日、訪問看護師さんに死後お化粧をして頂き
当方は、看護師さんとの会話の中で、気軽に良い葬儀屋さん知ってますか?
と聞いたら
用意していたように、すぐに紹介してくれて、その場で葬儀屋へ電話をして
頼んだのでした
その葬儀屋の担当さんが、鈴木さん

姉と同じ鈴木さん 叔母と同じ鈴木さん

さて、火葬式がはじまりました 叔母鈴木さん 姉 鈴木さん

火葬後に母親の遺骨の状態を素手で触って説明してくれた、その担当さん

なんと鈴木さん\(◎o◎)/!

こんな偶然あるよね~~ ある? ほんと?

これさ この事象ってもしかして 母親の再婚相手の鈴木

母親よりも10歳年上で

どうも霊的に働きかけたのかなと? 思ったのです

申し訳程度?

母親に心が残っていたのです

母親満92歳なので、再婚相手はもうとっくに極楽へ逝っている

母親への思いが残っていて、守ってくれていたのかもしれない

そんなふうに今日 思えるようになったのです。

ですから、結婚詐欺に遭遇した みじめな母親で終わってなくて

たった2年間だったが、再婚相手は母親を慕っていたんですよ

ただギャンブル癖が祟ってしまったわけだ!

もう過去の話で、現実的な話ではない

当方のイメージで、綺麗にしてあげようか(^v^)

こんないいイメージを抱くと 過去は一瞬にして クリーンな状態となるんですよ

だから当方はいつも言う

この世界はイメージの世界なのだと…

良いイメージを過去へ描くと 一瞬にして 負の世界から 一変してしまいます

過去の事象は変えられないが 過去の出来事の内容を変えられます。

陰から陽へ

さて、今日の 話はおしまいとしますm(__)m

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メモリアルステージ

今年の今、イメージ通りになってしまいまいましたね
母親も愛犬も寿命がせまっていて
ここに当方の父方の小さな仏壇があり、先祖代々の位牌と父の位牌と
33年手を合わせてきた
今ふと思ったら、父が亡くなったのは33歳
母が亡くなったらその仏壇には入らないので
今度は母に向き合おうと、メモリアルステージと決めていたのです
そうすれば、愛犬ナナちゃんも寿命が来たらこのメモリアルステージに一緒に
と、考えていたことが、現実となりました。

母も愛犬ナナちゃんも当方の家族
2か月のうちに二人ともいなくなってしまったのは、本当に寂しいし悲しい日々です。

花は9月からずっと、買って来て生けています。

お線香にロウソクも9月からずっと毎日何度かで、お線香3箱は消化したかな?

まずは水や愛犬のおやつを用意した後にロウソクを点け線香を焚いて
おりんを2回鳴らして

ひざまずき、合掌する時に親指をクロスします
マリア様をみて、

マリア様ありがとうございます。母親をお救い下さいましてありがとうございます。
愛犬ナナちゃんを救ってくださいましてありがとうございます。

と祈ります。

これは事実なのです、当方一生この言葉は祈りの言葉として続けます。

母親の時から、奇跡的なことばかり起こってます。

それが偶然というなら、宝くじなんか偶然に当たってしまうほどの確率

それを当方は奇跡と感じます。

だって、母親の火葬式の時の関係者、 当方をおいてみなさん鈴木さん

姉も叔母も鈴木で、担当の葬儀屋さんが鈴木で
母親の遺骨を素手で骨壺に入れていた係の方が鈴木

そして、納骨のお代金を銀行のカウンターで手続きをしたカウンターの女性が母親の旧姓

母親が亡くなった時間9時50分 愛犬が亡くなった時間9時50分

この時間は絶対間違いはないと思う 当方の生まれた時間です

11月19日は運命の日 特別な日として過ごしていた日で、愛犬の火葬の日が当方の

64歳の誕生日

凄い緻密な計画というか、運命を捻じ曲げることはできない!

運命とはいったいなんぞや?

運命はその生き方によっては変化してゆくものだとも思うが

宿命は、宿命を持って生まれてくるので、変わることはないです。

愛犬ナナちゃんは、3年前に当方の所へ来るべくして来たんだと思う

しかし当方は、当方の生活にワンちゃんがいるなんて、想像を絶するって良く
ブログで語っていた

ワンコを飼いたかったわけではない、しかし、飼えたらいいなとは事実思っていたのです

しかし、ワンコを飼える家は比較的裕福で一軒家しか飼えないだろうとか思ったりしていた

3年前の11月1日姉がワンコ連れで上京してきて

15歳と半年目のななちゃんに初めて遭遇し

何度か目で実家回りを散歩したりし

14日にナナちゃんを連れて姉が当方の住まいにやってきてから

愛犬ナナちゃんとは11月の14日からの共同生活がスタート

その3年後の11月15日が愛犬ナナちゃんがいつもと違う、今夜はやけに甘えてくるなと感じていた夜

それが最後のふれ合いだったのです。 我が家に愛犬ナナちゃんがやってきて

まるまる3年

発作の痙攣、

発作の痙攣がはじめて発生したのは18歳の誕生日の一月前

発作の痙攣が発生して7ヵ月後に亡くなった

15日の夜、ななちゃんは死期を感じていたのか?たっぷり甘えて
次の朝4時の発作 痙攣 まるで感電しているような痙攣

朝方まで続き、11時やっとおさまったかと思ったら

また、運命の発作が起こった!

16日、2時間も痙攣が収まらずというより動物病院で痙攣を抑える薬を両後ろ足の静脈に点滴を打つためにプラの針をなかなかさせなかった為
2時間も痙攣しっぱなしで

半日入院

動物病院が終わる午後7時の30分前に動物病院は誰もいなくなるので
そして、獣医師は今夜死ぬかもわからないというので

愛犬を引き取り

部屋に帰り

脳症を起こしてしまったようで、全身不随 かろうじて水をぺろぺろしていたが

何も食べれない

危篤状態

義理兄や姉にメールでお知らせした

母親の看取りの時と同じだ!

そしてナナちゃんは

16日 17日 18日 寝たままの状態

当方が愛犬ナナちゃんの逝く日を

17日 19日 21日 と感じたのは、

この日はいずれも 重要な日なんです  ツインソウルの誕生日なんです

その間の日は愛の日

19日の朝から膝にずっと愛犬ナナちゃんを抱っこし

顎を左腕に

ずっと抱いていました

呼吸の仕方が変わるんです

そして、母親の時と同じ 顎で幾を吸うようになってきたのです

母親の時は、前もって主治医に色々聞いていて、亡くなる寸前は顎で息をするようになると聞いていて
母親の時、それを察知し看取りを覚悟したんです。

それが、愛犬ナナちゃんの時も、まったく同じだったのです。

テレビの画面横に表示するデジタル時計の9:44から 50になった時に

愛犬ナナちゃんの呼吸が止まりました。

まるでカウントするかのようにです。

息が止まるのは まず鼓動が止まってから息が止まる 同時だと思う

愛犬ナナちゃんが亡くなったのには今でも深い悲しみが続いているが

この亡くなる瞬間の9時50分は、聖母マリア様の力だと思っています。

いつも苦しませないようにしてくださいと泣きながら聖母マリア像に
祈っていたから

こんな偶然なんてないですよ

母親もナナちゃんも今 苦しみのない世界にいるんです

だから 感謝の祈りしかないんですよ

 

 

一緒に寝てます(´;ω;`)ウゥゥ

 

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写真プリント

バックアップ保存しているデータからおふくろさんの写真を探して
プリントし、姉の所へ送る

いやぁ~~大変な量で コンビニのネットプリントなどでは数が多すぎて無理
コンビニプリントは1回で20枚までなので
カメラのキタムラを利用した L版1枚40円でコンビニより10円高いが
楽に大量にプリントができる

2度に分けで注文したが
合わせて15000円

合計金額* 	*¥ 11,320*

プラス
*合計金額* *¥ 3,760*

写真プリントで15080円\(◎o◎)/!

まぁでもおふくろさんの生前の記録撮影なので、データのままでは
やはりプリントしてアルバム化した方が良いよね

姉の所へそっくり送って
のんびり向き合っていただこう!

先日 の早朝 朝4時台 最後のメールと送信したら

すぐに既読になり
返信してきた
今まで送ってもうんともすんとも返信なかったのに
最後のメール、ということに喰いついてきたというか
今までの母親の介護で、足らなかったのは娘の存在だ!と
親を顧み介護の現場に来たら母親のぼさぼさ髪を 結ってあげたりとか
母親の為になることは娘としていっぱいあったはず!
それを顧みなかった
介護で頑張っている弟の気持ちにも寄り添ってくれなかった!
お姉ちゃんは、母親と弟にこれから一生懺悔して生きていってくれ

そういうと、姉からの返信で

ご指摘ありがとう!
機会があれば病院に行って来ます。

これが最後のメールと受け止めます。

もう送るなよ!と言うような念押しだよんこの書き方は

現実を見ろよ!という意味合いもあって
母親の写真を何百枚とプリントして親を顧みられなかった
姉へ送って向き合って欲しいのです。

自分が作った妄想を抱くよりも
現実の写真を見て記憶にとどめて行ってほしいのです

これだって弟としての優しさですよ!

姉が母親の介護の現場へ一度も足を踏み入れなかった期間の記録写真です

それらをみて懺悔してくれ 懺悔の人生を進んでくれ

認知症を遅らすことにもつながるし

姉自身の魂を清めることになるのです。

 

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最後のメール

姉への最後のメール
現在 深夜なのか朝なのか? 午前4時過ぎ

いつものように愛犬がざわついて起きだし
ベランダへ抱っこして出してあげて
そこで愛犬は回転運動
時々バランスを崩してコケたりしながら回転してやっとおしっこ態勢
それまでずっと当方は見守っている
愛犬がオシッコしているところで、安心して自分もおしっこしに行く

この時間帯は熟睡することがなく
自然に頭に浮かんでくるものは、姉への不信感 どんどん不信感が募ってくる

姉の態度 言動 数々の弟の当方に対する敵対心

心因性の病気だと、一言では片付けられない

これまでの姉の取ってきた態度、行動はうやむやに忘れ去られては良くない

姉は、介護する弟の気持ちに何一つ寄り添う気持ちもなく
また母親を顧みない

それが、自分にとっていろいろなつくろい事があったとしても

許されることではない!

これからの人生、一生 母親と弟に懺悔して行ってくれと これほどキツイ

言葉はないと思う

精神疾患だと 何を言っているの? となるかもしれないが

もしそうでも いつかまともに考えられる日が偶然起きた時でも

理解し 反省して欲しい

そして、そう思う当方は姉へまだやるべき仕事が残っている

それは

これまで母親と介護風景の記録撮影のすべてを

プリント写真にして、一枚々日付を記入し 姉へ送ってあげようと思うのです

 

母親が亡くなったのに今さら …ではなく

当方はすべて体験し記憶していることで

たぶん、これまで母親を記録撮影してきたのは

姉の為だったという

膨大な数の母親や介護現場(母親の部屋)の記録撮影を

プリントして送ります。

その後、日付を見て アルバムにしたりするのは本人に任せるが

姉ならアルバム化すると思う

そしてそれを見て、介護現場を把握し記憶にとどめて行って欲しい

この撮影記録から 母親の本当の姿を見ると良いのです。

これが、当方の最後の姉への仕事なのです。

姉を救う事となるのです。

ちなみに

まだ朝ともならない こんな時間に 姉へメールしたが

すぐに既読になった

4:50

追伸

姉からの返信メール

「ご指摘ありがとう!

機会があれば病院に行ってきます。
これが最後のメールと受け止めます。」

 

そっくりそのままのメール文です。

単なるプライをかましただけの返信です。

 

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最高な納骨の日!

実家の団地から近い野川
ここからスタート
12時に実家を叔母と姉と当方と出て
姉と叔母は最寄りの駅から各停で、最寄りの駅で下車し
霊園までタクシー

当方は野川沿いに電動アシスト自転車で
母親の遺骨を背負って、およそ40分の道のりを散歩がてらに
遺骨になってしまったお袋さんと、最後のお別れです!

 

 

霊園へは9月に見学に行った頃よりも
今日 10月19日は天気も晴れて空気が乾いて清々しい気候で
3回この道を通ったが、今日が一番いい気候で良かったです

 

ほんとうに良かった!

霊園に到着すると
ちょうと姉たちがタクシー降りているところだった
まったく同じ時間に到着だ!

 

納骨式がおわって帰る頃に
真ん中が2歳違いの姉と9歳上の叔母
失敗したな~上着着て撮影すればよかった
ダブルの礼服

 

まず 49日の法要と 納骨式と 親父と先祖代々の位牌の魂抜きと
納骨後

仏壇を梱包し

霊園へ送りました。
お焚き上げです。

これからは、親父もおふくろさんも位牌はなく
遺影のみです
それを考えると、嫁に行った姉と親へ手を合わせる形は同じです。

仏教 宗教を逸脱したスタイルです。

形式ではなく 真心です。

日を追って どんどん どんどん 3DKは空っぽとなってきました。

24日の夜には愛犬と帰宅する予定です。

 

23:35

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日曜日の件

現在月曜日の午前3時15分
なんでこんな時間に、といいますと
2時半ころに愛犬がザワザワ起き出して

実はずっと寝たきりで、抗てんかん剤を飲ませる機会がなく
愛犬ちゃんは嘔吐し ほとんど食べてない状態

当方も、愛犬が発作が起こらないか、心配で眠れない
ここ最近というか、ずっと熟睡ができていない

あまり寝てなく 眠いんだが 眠れない

ということで、日曜日の朝6時ころから自宅へ電動アシスト自転車で片道10Km

走り、月曜日が燃えないゴミ回収の日なので
燃えないゴミの袋をコンビニで買って、タイガーの炊飯器など捨てました
洗濯機置場など片付けを少々と

仏壇と先祖代々の位牌と親父の位牌とを、その為にアマゾンで買った
白い風呂敷に包み

実家に移動しました。

この買い物かごに入るだろう?と想像してて
実際ぴったり入った!

入らなければ徒歩と電車移動

白いのが位牌などだが、後でサドル側に移動した 落としたら大変だからね^^;

これで準備は整った!

納骨の日に母親の遺骨を背負い野川の川のほとりを40分走って
霊園へゆき 納骨式をするのだが
親父系の位牌3点を持参し合わせて魂抜きをするのです
ですから、この日は49日の法要と納骨と親父系の位牌の魂抜きを続けて
お坊さんに読経してもらうのです。

そして、納骨が済んで、次に仏壇をお袋さんのと当方のと
梱包しお寺に送りお焚き上げをしていただきます。

なぜそうするのかというと、おふくろさんと親父系の位牌などは
共存できないのです。

共存できるはずがない!

実際、親父が突然に亡くなって、葬式後、母親は我々子どもを連れて
親父系から逃げ出したわけなので
そういう当方としての母親への配慮心から

親父の位牌と先祖代々の位牌とをなくし
母親の位牌も戒名も作らず

仏壇というスタイルから、母親の霊に向き合うために
メモリアルステージにして、母親と親父の写真を飾るんです
そこには仏教や宗教などにとらわれることなく
当方のイメージの世界を構築する

観音様と入れ替わり、聖母マリア像を中心にした
メモリアルステージをイメージしています。

自宅の小さな仏壇を置いていた場所は、昔購入したオーディオのラックで
十分広いスペースがあり 実にメモリアルステージを構築するには
理想的なスペースであると思う

まだイメージの中だが

そして、納骨の日野天気の良い日に遺骨を移動と考えていたが
どうも天気が月曜日から雨が続きそうなので
そして、叔母から納骨前に実家に来てお線香をあげたいとリクエストが有ったが
そうしてくれるとありがたいとか、メールできたので

叔母さんの都合もあるかと思うが、こればかりは魂的に無理なんだと
返信したが

というのは、まず叔母などには当方の心の風景は理解出来ないと思う

霊園の見学の日に野川沿いを電動アシスト車で走り その道中がなんとも
心の環境を良くしてくれる 心の栄養となる気持
野川の自然 川の音 小鳥のさえずり
こんな道をおふくろさんの遺骨とともに納骨の日に最後の別れに
ふさわしいのだろうなと、思いながら走って

そして霊園を見学している時も、水の音がなんとも癒される思いで
石碑も和と記されていて、お袋さんの名前の和と同じで
見学したその時に担当者に、ほぼ決まると思いますと伝えました

即答です すべては川の流れの如く なんら迷うことなく
お袋さんの納骨まで

振り返っても、全てが川の流れのように流れていっている
しかもなんの躓きも障害もなく決め事としても迷うことなく来ている

納骨後 仏壇を発送した後は 洗濯機を土曜日に集荷してもらい
日曜日の午前中に自宅へ配達 受け取り

土曜日の午前中に連れ合いさんの団地へ送るために5点集荷してもらい

24日はお風呂の解体 エアコンはその前に取り外しに来てもらい
24日に集荷

25日の夜集荷5点を配達してもらい エアコン設置は28日の午前中

28日の午前中に25日に送った5点の中の照明器具を当方が行って取付をする

この28日までの間、当方は自宅へ戻っているかもしれない

現時点ではテレビと掃除機 サイドテーブル2点 カーペットは燃えないゴミ

28日金曜日粗大ゴミ回収日で この日にこたつとサイドテーブル2点掃除機と出して

テレビは0円掲載で

現在17日の時点では

予定したことが正常に流れるかを待つ

あ、忘れていた もうそろそろ 実家のすべての契約を解除申請をしようと思う

KDDI 電気 ガス 水道 au光ルーターも返却

拠点を自宅にして

電動アシスト車で実家にきて

粗大ごみを置き場へ運んで 燃えるゴミと 最後 燃えないごみ31日だから
31日の朝 鍋とか ジェイソンのハンディクリーナーとか
捨てて 3DKは完全に空っぽとなる

自分でいうけど ほんと お疲れさんです(^_^)v

後 2週間 トータルで母親が亡くなってから60日間

付き添い期間を合わせたら

80日間

ほんとご苦労さまでしたm(_ _)m

 

あ、まだ終わってないけど^^;

終わったら 熟睡したいね~

愛するおなごの膝枕なんかいいな~

 

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お風呂撤去! 申込み

人に譲ったりとか・面倒!

JKK管轄の業者のお風呂屋さんにお風呂の撤去を申し込みました。

ホールインワンのお風呂を2019年にバランス釜風呂と入れ替えして
総額33万円くらいしたと思うんだが

そのお風呂の撤去に32450円 \(◎o◎)/!

この金額は多分業界最安値だろうと思う なにしろJKK紹介業者なので

当方の計画通り24日以降月末以内に撤去工事開始となる

納骨後の次の週には全部空っぽとなる

なので30日には自宅へ戻れる

鍵の返却は11月に入って 再度実家へ来て

45年間住んできた3DKの部屋とおふくろさんと
実家というものと

最後のお別れをします

クリーニングして引き渡しをします(^o^)v

この台車は置いていっちゃいます

この台車 1977年こちらに入居した時に使った台車です。
おふくろさんの所有物

2019年に ボタンひとつでお湯はりのできる
ホールインワン風呂を姉とお金を出してバランス釜風呂と
入れ替えリフォームをして
姉が1ヶ月間毎日お風呂に入り
お袋さんは、入らなかったのです

その訳は、お風呂に入るのが怖い

その原因は、当方の連れ合いさんが過去に田舎に1人住む
母親の面倒を見に東京から夜行バスで毎週末のように
新潟の母親のところへ行っていて

行った先で母親がお風呂の中で亡くなったのです
湯船に浸かったまま
連れ合いさんは、湯船に浸かって意識がない母親を
抱きかかえてお風呂から引き上げて
人工呼吸をしたそうだが

その話をおふくろさんにしてから
他人事ではないと思ったようで
お風呂に1人で入れなくなってしまったのです
冬季はナンシーズンも入らないでいました。

そんなお袋さんの為に、バランス釜の四角いバスタブの立ち上がり
が高いのでと、バスタブの低いホールインワンへすれば
入りやすいだろうなと、リフォームしたんだが

お風呂介助で、シャワーだけだったそうです。

そして、当方がこの8月13日の母親の付添から
10月すぎまで、好き放題オフロに入っている

まるで、リフォームは姉や当方のためだったようです^^;

そのお風呂も解体工賃32450円で撤去となる。

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付添からずっと流してた曲と映像

 

この音楽を聴くと
なんか、もう 死んでゆくんだよ
と言う観念で寝ているお袋さんの為に流していたんだが
なんかすごく虚しく寂しい音楽で すごく湿った音楽だなと思えてくる

もう 後戻りはできない 死へ進むしかない

そんな風景に流した音楽でした

当方選んだ音楽なので 当方の心の風景の音楽なんですよ

8月13日の夜から
母親が寝る介護ベッドの隣で愛犬ちゃんと雑魚寝して
夜通し鳴らしていた音楽

あれから2ヶ月になろうとしているが 死んだ人は、そこで永遠に止まってしまうが
まだ心臓を元気に動かされている人は、これからもどんどん前へと進んでいって
この今がいつか遠い過去へと変化してゆく

生きていれば、それからどんどんいまだ経験したこともないような事も
経験し 人生の侘び寂びと憂いと歓喜に満ち溢れたり

それが人生 それも人生 自分の人生に 花飾って

目には見えない 花を飾ってゆこう!

 

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納骨~

遺骨の移動

実家の団地からおよそ6Km
野川の川のほとりをおふくろさんの遺骨を背負って
電動アシスト車で走ります。

 

遺骨用のショルダーバッグが有るが
かなりチャチでショルダーだとずれたりして 直したり
とにかく奥行きがあるので
愛犬用のスリングキャリーバッグのようにはいかないなと
遺骨の入るバッグを探してみた

 

中にケースを重ねて重さも加えてみた

 

 

これはやはり 前に来るようにしては安全運転ができなくなるので
必然的に背負う

実際、遺骨をいれて見た!
試さないと 当日アタフタと困るからね^^;

全然大丈夫でした!

納骨の日の前日、天気の良い日に遺骨を移動します。
当日だと雨降りの場合、まずいので
やはり、一生に一度の事なので天気の良い日に野川の川のほとりを
お袋さんの遺骨をおんぶして
それが最後のお袋さんとの別れとなります

今まで2度ほど霊園へ行っていて30分はかかるんです
遺骨の移動の場合は、慎重に時間をかけてのんびり散歩がてらに走ろうと思う

準備は万端

 

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姉は断捨離中だと

多分そうだろう 弟の当方が母親の遺品のすべてを整理処分
しているところで、じぶんはいっいたい何をしているか?
心の整理を兼ねて、不要なものを処分しているのだろうと思う
それも自分のためだろう

しかし、母親の遺品を、これだけ送って
後は断捨離中だから送らないで

て、ふざけるな!

メールでは言わないです 今怒らせると 大切な納骨式を控えているので

馬鹿野郎こっちの身にもなってくれよ!

ほんとわがままな娘だな

こっちは8月13日から実家に泊まりがけで 母親の付き添い
そして看取り
そして、遺品の整理と 納骨する墓を選んで契約って
姉に相談もできず 全部一人でやっているんだよ

私は実は坐骨神経痛で 遺品整理できない 業者にまかせたら

一日で整理できるよ

って、ほんと 情けないよ

いったいなんなんだ? こいつは?

お姑ではなくて 実の母親だろうに

弟の当方よりも 母親と記念写真に収まっている写真が膨大な量
あるのに

当方などよりも長きにわたり色んな思い出があるだろうに

認知症でわすれたか?

弟の当方は、母親の人生晩年 介護申請からずっと面倒を見てきたが

姉に不服ありだ!

身辺整理の断捨離なんぞ 納骨式の後にしろよ!

当方は以前からおふくろさんに係わることはすべて

お袋さんの為に考えて動いてきたが

今でもだよ

そりゃ息子としての義務と 使命感でおふくろさんに係わる最後の

締め括りまで頑張って 整理しているんだが

自分の為ではない

正直早く我が家に戻りたいんだよ

元々姉家族のワンコだったナナちゃんも 当方と一緒に
てんかんを患っても乗り越えて

当方の付添で頑張っている

そんな大切な期間で自分の為の不用品整理をしているって

次元が違いすぎる!

二人姉弟として ありえないよ  姉弟として 心の痛みを分かち合いながら
母親の遺品整理をするって 当方は思っていたんだが 完璧に裏切られて

実は坐骨神経痛で 同じ体勢ではいられない

なんて言っていたが

確かに坐骨神経痛も しんしん痛くてきついのは経験しているから
わかっているけど

だったら、動けば良いんだよ いろんな体勢をして 神経に触らないように
してゆけば普通に動ける

確かに神経のツボは痛くなるが

当方は長い間椎間板ヘルニア痛で10年以上我慢して仕事をしてきたが
10分も歩けない 痛くて 屈んで神経を伸ばさないと足がしびれて
歩行困難となる 電車で立っていられない

しかし仕事は体を使う仕事なので、屈んだりすることで圧迫される神経が
開放されるという毎日で仕事はできたのです。
立ったままの仕事だったら 出来なかったね 警備員とか 無理

現在は腰椎すべり症で、椎間板ヘルニア痛と同じく
神経が圧迫されたままなので 足がしびれっぱなしなのです

少々の動きも足腰に来て

横たわりながら動いてるのです

当方は、甘いこと言ってられない 代わりがいないからね!

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男はつらいよ!

姉は4日早朝から帰宅したが

当方は、付添いのままで、ここにお袋さんがいなくなっただけですよ
そのまんまです

ここで、泣き言は言いたくないので

とにかく当方の代わりはいないので、体を壊さないように
愛犬ナナちゃんの為にも

毎晩酒を飲んでます(^^)v

泣き言なんか言えないよ

だって 男の子だもん(/_;)

ナナちゃんだって一人だよ 一人で立派に生きている

当方のメンタルをカバーしてくれているよ

すごい役目だ!

あ、お酒はね 飲み過ぎません 2合程度 時々3合とか

糖質ゼロ プリン体ゼロ

例の樹木葬に電話して見学の7予約をした!

それがまた 11日の11時  もしかしたら即決しちゃうかもです

ここは姉がネットで見つけたお寺さんです

新規オープンで オープン前の見学です

見学して仮申し込みがある

場所は仙川 当方この界隈は地元でマイカーで走り通っている地域

おふくろさんもよく一人で行っていた町です

シルバーパスの事務所もここの町だね

今までトントン拍子で来たので、多分決まるだろうと思う

また、同じ区画に愛犬の納骨もできるので

愛犬のも購入しておこうと思う

それって理想的ですよね(*^▽^*)

だって、将来姉とか子供を連れてお参りに来た時に
かつての家族ナナちゃんも眠っていて向き合えるとしたら
素晴らしいことじゃないですか!

ちなみに 姉とナナちゃんが遭遇したけど
ほとんど忘れているようでした

当方が抱っこして、姉がまるで親と子供だねと

そうだよ、毎日離れないで生活しているから

本当に家族

最近ではスーパーへ買い物する時間でも

子犬のように寂しくてくぅ~んくぅ~んと泣くのです

目が見えないんので 一人きりと感じた時に不安で寂しくて
泣くのです

吠えるのと全然違って まるっきり子犬ですよ(*^-^*)

てんかんの発作がまたいつか起こると思うので

なるべくお袋さんの部屋の片づけを退去ぎりぎりまでにして

愛犬の発作に対応したいと思う

3畳間押入れを防音室にして愛犬の吠える声を遮音指せようと思う

夜通し吠えるので、だから布団類の処分は最後

そして季節はどんどん過ごしやすい季節となるから

発作もおさまるだろうとみている

JKKの事務の方が、退去までの猶予は半年といっていたので

来年の三月 桜三月散歩道

お別れシーズンで、実家ともさよならです

考えるだけで 胸が熱くなるよ

永代供養込みで年間6千円を支払う義務があるが

これは姉にやらせます

絶対

姉や孫たちが来れるように

だから その畑を作る役目は姉だ

当方は、国外に逃亡する(^^)v

人生爆発だ! 冒険家になったるで~~

 

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母親を送り出ししてから4日目

精神的にもすべて安定している
今は当方の背後には

すべての因縁から解き放たれたおふくろさんがいます。

介護ベッドが引き取られてから
テーブルを置いてそこに49日間安置します。
納骨霊園は 姉が検索していて案内書を頂く段階で
近くの樹木葬

13年後には土に戻すそうで
墓石が従来のお墓ではなく小さな洒落た墓席に名前と絵がデザインされる

おふくろさんが好きそうな墓石
そして、実家から近いし 駅からも徒歩で5分

姉や姉の子供たち 孫がお参りしやすい

姉は一旦帰郷をし、心身ともに休んでから
再び上京し ホテルに泊まりながら 整理に入る予定

樹木葬の場所を姉と見学に行って決める
ほぼ姉に任せます。

おふくろさんの遺影も昨日姉が探し回って
当方が写真屋無料のプリントアルバムの中から
これ、おふくろさんも気に入っていた写真だと
飾ってくれました

仏具セットは、実は葬祭場からもどってきて
当方は葬儀屋担当の車で戻ってきたんだが

姉ははじめから人込みを抜けてきたので2mの距離厳守と
言われていて、実家までの送迎も避けて単独で実家へ行くと
叔母はここで引き上げ、49日改めてご焼香にあがるといわれた

担当の車に乗り込んで走る先で
まだ姉と叔母は会話をしていた

実家に戻ってきて姉が、来ないのでメールすると
今お茶を飲んでいる
おひるご飯どうするのと聞くと これから食べてゆくというので
当方はさらさらと済ませたが、まだ姉が来ないのだ

そして、

当方は、ただ戻ってきただけで何もしてない
花はどうする? とメールで聞いて 活けるのか? 置くのか?
活けるなら 花瓶

花は買ったという

では、ご焼香一式はどうしようか? と聞くと
父のを兼用すればいいのではと返信 着信する前に

お仏壇の長谷川へ 電動アシスト者で一式を買いに行きました。

当方戻ってきて姉便りで頭が回転してなかったところ
やっと発動した(;^_^A

親父の古いのと兼用してはダメですよ

購入して戻ってきたらろうそく立てがなかったので
配達してもらいました。
金の音色がやや太く澄んだ音色でサスティーンが素晴らしい
一番安いんだねど(;^_^A

これから霊になったおふくろさんに手を合わせて向きあう

今までよりも身近な存在になったと
当方たち子供はこれからの人生で感じてゆくのだろう

霊となったお袋さんは なんか 力がありそうで

すべてに関して好転してゆくように感じます。

希望としては姉の守護霊になってほしい

きっとなるだろう

姉からメールで お寿司を買ってゆくと

お寿司を買ってきた姉が

叔母と大國魂神社へお参りに行ってきたそうだ

余計なこと言わない姉のメールは片言(;^_^A

叔母との仲も心配していたんだ、どうやら女同士
また同じ姓同士
叔母に強く釘を刺していたのがよかったかもしれない
よけいなことは姉に言わないようにと…

そうそう 忘れていたが

当方の今後、実家の部屋を空っぽにしてJKKへ引き渡しするまで
ここで管理してなくてはならない
高齢の愛犬もいることで退去日までに家財道具を処分して
と、いちいち通ってられない

そして今使用するノートはすでにブラウザアカウントで
本体PCと変わりなく使用できるので
ほとんど部屋には戻らなくともOK  喪服取りに行ったときに
エアコンも止めてきた

1週間に1度ギターのチェックには戻ろうと思う

49日の間に申告し、退去猶予日が設けられるかと思う
月曜日は愛犬の目の治療結果を見ていただく
その時に 抗てんかん剤をやめたことを獣医に伝えようと思う

薬なしで死んでしまうならしっかり看取ってあげます。
麻酔では死なせませんよ

神が与える自然死です

公園の芝生で愛犬が喜んで元気よくしっぽを振って駆ける
この日々をたくさん与えてあげたい
まだまだ大丈夫だ!

発作が起こったら抱きしめて鎮まるまで見守る
それで、虹の橋を渡ってしまうなら本望だと思う

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やはり目に見えないパワーでここまで来た

今は実家で落ち着いています。
母親も帰ってきました。

目に見えないパワー
これが本当にすごいことになりました。

みんなソウルメイトです

こんな偶然ないですよ!

火葬式に姉と叔母と当方で母親を送りました

最後のお別れに 柩の扉を開けて数々の花を姉と叔母と当方とで母親の顔の周りに
添えました。

 

1時間くらいで 現在は火葬の煙を出してはいけないので
昔のようなやり方ではなく
短時間で火葬されるようです

骨上げの時に担当の方がこの骨は顎とか背骨の圧迫だとか
かなり詳しく説明していただき驚かされました

担当者は素手ですべての骨を骨壺に入れて、喪主の当方が

骨壺を受け取り 挨拶をしたときに

姉がその担当者の名前を聞いたのです

すると、鈴木

え~こんなことがあるのかと\(◎o◎)/!ですよ

なにがだと思いますか?

葬儀屋の担当も鈴木

姉も鈴木 叔母も鈴木

当方だけが違います。

皆驚いていました

こんな偶然ないですよ

完璧なるソウルメイトの集まりです

この葬儀屋を当日教えてくれた看護師もソウルメイトです

縁なんですよね

今まで縁繋がりで 最後 1日 2日 3日と

コンスタントに流れていった

親父の仏壇から母親に関係する霊たちよ! と
しっかり送ってあげてくださいと

頼んだからか? 母親のすでに霊となっている家族たちが

働いてくれたのだろうと思う

 

 

 

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