当方の父の命日で、当方は当時まだ5歳
父33歳
今まだ早朝5時前の書き込みなので
メモリアルステージに向き合ってないが
父の遺影は凄く小さな遺影です、 父の写真は人生いろいろあってこれ1枚しかない
なぜ1枚しかないの?
と話せば長い話があるんですよ(;^_^A
当方5歳なので、父の記憶はほとんどないです
断片的な記憶は、近所の遊び友達で女の子と喧嘩して、泣いて戻ってくると
玄関先で父が上がらせてくれず、泣いて帰ってくるな!
負かして来い!
と、叱られて 泣きながら また女の子の家に行ってリベンジして
負かしてきたぞ! という感じで戻ってきた
2件目の断片は、今で父と知り合いが晩酌をする席で、父の胡坐にいて、水と間違いお酒を飲んで 苦い~
その時に父の指輪を興味深く見て、触っていて
父が、オニキスの黒い石にお酒の水溜りを作って見せた 石は四角く平らで
水滴を垂らして水の表面張力の不思議さを見せてくれていた
その時に当方は、珍しそうに見ていて、父にこう言った!
おとうちゃんがもし死んだら、この指輪頂戴!
3件目の断片
父の葬式に参列していて、父の眠る顔とみて
すぐ下の従兄と顔を見合わせて笑ったりしていた
なぜ笑ったのか? 当時当方の心の中では、死が何なのか分からず
悲しもどころか、父がいなくなることを 怖い父がいなくなってホッとしたような心持があったと思う
なので、父が亡くなって悲しんだことはない!
父がいないということがごく自然な人生を歩んできたと思う
幼少時代の記憶はこれくらいにして
あ、父の遺影は、当方が二十歳の頃に生まれ故郷へ出向いてそこの仏壇に飾る遺影を撮影してきたものです。
なぜアルバムがないかは
実は、当方の中1まで幼少時f代のアルバムが存在していた
ところが、母の再婚相手から逃げてきた時に、置いてきてしまったのでした。
逃げる時に、母は実用品を両手に手提げ袋いっぱい持ってきた状態で親子3人
路頭に迷った日があった
母親は神奈川に住む弟の所へ行こうとしていたが、横浜界隈で到達できず
道端で占い師に手相を見てもらったり 身の上話を占い師に言うと
面倒見ますと、占い師の商売道具を片付けようとしているところで
危険を感じて さらに逃げ出してと その晩は素泊まりの旅館に親子3人泊ったのでした。
再婚2面目のことでした。
再婚相手は、母よりも10歳上で 狸のような体系の坊主男
母はママと言っていたので 無理やりパパと呼ばせていた キャンブル狂 賭け事ばかり
母は水商売でカモにされたのです 身の上話をペラペラ喋るので
父の保険金の話とかを 多分語ったおかげで
早く子供を引き取る為に 焦っていたのか?
ギャンブル狂が父の保険金をすべて使いこんで しまいには暴力を振るうようになり
怖くなって裸で逃げ出した
当方の記憶の断片では、次に6畳一間に家族3人住むこととなり
1畳スペースにカーテンを取り付けて当方の部屋とした風景
後に勉強机が姉と当方のと二つ返却 父の仏壇も返却されて 勉強机の下の空間が当方の唯一の部屋
次に 6畳と3畳板の間流しと共同トイレの貸し間に移った後は
都営団地の抽選に当たり
3DKの間取りの都営団地9階に住むこととなり、母親は45年間住むこととなる
その唯一の母のお城で、当方は昨年看取りました。
母は、水商売 いわゆるホステス業から マネキン販売員を経て 国民年印が降りる60歳代から78歳まで渋谷の各種学校等の清掃パートを従事
91歳まで単身生活ご 認知症 ゴキブリ ごみ溜め部屋となり
当方がこれではいけないと、面倒をみえるようになる
介護保険制度を申請
介護保険制度を申請する前は、母親は両目の白内障で、ほとんど見れないのに
それでも、スーパーへ買い物に行ったりと 自活していた
白内障でも、いきなり幕が張って見えなくなるわけではなく、不便さが気が付かない速度で白内障が進行してきたことで
ボケて見えなくても、感覚で生活ができていたわけです。
こればかりは、本人が目が不自由だと訴えないと他人には状態が分からないものです。
しかし、いつか目の周りの皮膚が赤くなっていたのを心配して、眼科へ連れて行って、はじめて白内障進行と把握できたのでした。
高齢ということもあり、大事を取ってが医学病院への紹介状を頂き
入院3泊4日で両目の白内障の手術を受けた
その頃に、腎臓の数値が悪いと はじめて知ったのでした。
運命の主治医に出会うまでは、母親の環境はそれは大変なものでした
セコム緊急通報~入院 エスカレーター転倒 救急搬送 夜9時過ぎに迎えに行ったり
十二指腸穿孔 で緊急入院 緊急手術
姉が関西地方に住んでいるところ母親との電話で血圧が高いと緊急通報 入院
入退院が頻繁に起こっていたコロナ渦時代
面会も容易ではない
入院すると どんどん認知症が進んでいった
振り返れば 激動な時f代だったが
腎臓内科の主治医にであって 往診してもらえるようになり
確かな処方箋をもって
安定した晩年だったと思う
この当方の気持ちは、主治医に伝えて、お礼を言っています
2021年9月からの往診だったので、まるまる1年
腎不全の先を主治医を相談 1年前からコースを選らびました
10月に、来年の今ごろまで まだこんな風景がありますか?の問いに
首を振られました 難しいです。
ということは、命が持たない
腎不全の進行は、行く末は透析をしないと生きて行けません
透析となると、病院へ定期的に通ってベッドに6時間は横たわって血液をろ過
しかし、年齢も90歳過ぎと認知症が進んだ状態では、危険と 透析は
心臓に負担がかかるので
延命にはあまり意味がない
コースは、このまま往診 ケアを続けて 45年住み慣れた母親のお城で
逝ってもらえればそれは幸せな事だと思う
主治医も息子さんの側のついているのが一番良いですね と
施設とか病院とか入院しても 医療的にやることがない
当方も
この腎臓内科の院長先生が運命の方だと思っているので
母親が生きている以上 絶対に切れない方だと思っていたので
自然死を選びました
息子の当方の手から母親を放したくなかったのです
母親との最期は、やはり 看取りです。
もう医療を超えた寿命なので
それを、姉は理解できなかったのです。
なぜ理解できないかは、やはり思考が当方の思考とズレているし
遠方で座ったままの思考観念だったからです。
介護現場にきて、母親の面倒を見ていたら 当方と気持ちも結束
出来ただろうと思う
すべては終わった話だが
今年9月で母親の一周忌なので 大切な時期の過去を振り返り思えばそれも供養となるだろう
父の死は
建国記念日の未明 交差点で東京大田区の大型冷凍車に突っ込み首の骨を折り即死
そう、当日 父の葬式前に 父の事故のニュースをテレビで見た
フロントは滅茶苦茶だった
顎がパックリ割れていたので ハンドルに顎をぶつけて首の骨を折っての即死
女性が同乗していて助かったと言われていた
父は、跡取り息子として旅館の館主と、駅周辺でスナック経営をしていて
の2月11日 未明
飲酒運転だったのだろう 大昔はさほど規制がなかっただろうと思うが
父の葬式で小柄で綺麗な女性が横たわる父に向けて
罵声を飛ばし 小銭を投げたシーンは
きっと 父の愛人だったのだろうと 大人になってこの記憶の断片が
理解できたのだった…
人生いろいろだな~(^。^)y-.。o○
ちなみに、当方は昔しっから 当方には精霊が宿っていると思い続けてきているんだが
精霊=守護霊
父の霊は感じたことはないが
もしかして 守護霊か?
当方は父と誕生日が1日違いで 性質なども同じ 正義感も同じ
怒りっぽいのも同じ
顔も似ている(;^_^A
父が受刑1年、反省した日々を1年過ごした後の子供なので
父の霊は 当方を守護している役目を頂いているのかもしれないな
父親の霊が付いているって思ったことがないんだが
59年間当方を守護する精霊となっていたのかもしれない
ここまで気が付く段階は
今まで灯台もと暗しで だんだん足元付近が明るくなってきたってことだね
・・・・・
今、9:22分 母親の墓参りから戻ってきたところだが
薄々感じていたことを今、述べてみよう
実は母親の再婚相手は、ギャンブル狂の結婚詐欺しと当方はずっと烙印を押していたが
今ふと理解ができたのだ!
再婚相手は、ただの結婚詐欺師ではなく、やはり母親を慕っていたのだろうと思う
思えるのです
家族3人で逃げ出した後は、居所不明として後に離婚調停をしていたが
当方達の居所を突き止めるために 当方達 姉と弟 中1と中3が通う学校へ
押し込んできたのです
睡眠薬を大量に飲んで死ぬぞ!と脅かして、居所を聞き出そうとし 警察沙汰となったわけです。
当方と姉は授業中校長室へ呼ばれ、秘かに自宅へ帰ったのです。
ここで、ふと考えて
再婚相手は、たったの2年間
当方達姉弟が母親の実家に預けられていた茨城県から上京して母親と生活がスタートした頃は、当方小4
当方は小4から母親と生活がスタートして転校5校しているのです
つまり、再婚相手と同居してから引っ越しを2年間で14回
次第に家財道具がどんどんなくなっていった すべて質に入れる始末
姉のエレクトーンも、母親と祖母がお金を出し合って買ってあげたエレクトーン
姉はエレクトーンコンクールで何か賞を頂いたが
そのエレクトーンまで質に入れるしますで お金を借りるのではなく 売りです
ある時不満を再婚相手に訴えた時に、革靴のまま部屋にあがってきて
母親を蹴り飛ばしたのです
内側の太腿を蹴り飛ばされて、当方も危険を感じ
再婚相手に泣きながら飛び掛かってゆきました
おとなしい当方が、再婚相手もそれは驚いた様子だった
その後隙を見て親子3人紙袋に必需品を入れて逃げ出した
で今、ふと思うと、再婚相手は完全なる結婚詐欺師でもなかった
母親を確かに好いていて再婚したのだと 気が付きました
なぜ言えるのかは?
これが、頭かしげるが(;^_^A
再婚相手の姓は鈴木で
当方達は2年間だけ再婚相手の籍に入り、鈴木を名乗っていた
中2 中3時代は鈴木でした。
そして、完全に離婚ができて やがて都営住宅へ母子家庭3人入ることとなり
24歳の姉は、そこから嫁に行きました
以前の鈴木からまた元に戻ったが 結婚相手は、なんと鈴木
日本には確かに鈴木の姓が多いが、姉はまた鈴木になったのだ\(◎o◎)/!
そして、おふくろさんの唯一の年の離れた妹 19歳下の妹は、母親の旧姓でもある小川から
なんと、嫁入り先は鈴木
そういう偶然もあるだろう~~!
さて、今度の事象は、またそういう偶然もあるだろう~って簡単に言えるのか?
母親が亡くなった当日、訪問看護師さんに死後お化粧をして頂き
当方は、看護師さんとの会話の中で、気軽に良い葬儀屋さん知ってますか?
と聞いたら
用意していたように、すぐに紹介してくれて、その場で葬儀屋へ電話をして
頼んだのでした
その葬儀屋の担当さんが、鈴木さん
姉と同じ鈴木さん 叔母と同じ鈴木さん
さて、火葬式がはじまりました 叔母鈴木さん 姉 鈴木さん
火葬後に母親の遺骨の状態を素手で触って説明してくれた、その担当さん
なんと鈴木さん\(◎o◎)/!
こんな偶然あるよね~~ ある? ほんと?
これさ この事象ってもしかして 母親の再婚相手の鈴木
母親よりも10歳年上で
どうも霊的に働きかけたのかなと? 思ったのです
申し訳程度?
母親に心が残っていたのです
母親満92歳なので、再婚相手はもうとっくに極楽へ逝っている
母親への思いが残っていて、守ってくれていたのかもしれない
そんなふうに今日 思えるようになったのです。
ですから、結婚詐欺に遭遇した みじめな母親で終わってなくて
たった2年間だったが、再婚相手は母親を慕っていたんですよ
ただギャンブル癖が祟ってしまったわけだ!
もう過去の話で、現実的な話ではない
当方のイメージで、綺麗にしてあげようか(^v^)
こんないいイメージを抱くと 過去は一瞬にして クリーンな状態となるんですよ
だから当方はいつも言う
この世界はイメージの世界なのだと…
良いイメージを過去へ描くと 一瞬にして 負の世界から 一変してしまいます
過去の事象は変えられないが 過去の出来事の内容を変えられます。
陰から陽へ
さて、今日の 話はおしまいとしますm(__)m