最近の医療では、余命宣告されるようですが
多分「、余命を宣告して 残り少ない時間を有意義に過ごしてもらう為
医学側が患者の寿命を把握していながら、その真実を患者へ伝えないのはどうなのか?
という見解から、余命宣告をするのだろうと思う
しかし当方なら、余命の宣告は無用です
残りの時間は、自分のものなので、ごく自然体で最期まで過ごしたいと思う
例えば、今後なにかで入院したとして、担当医に言っておきます
余命は宣告するなと!
というのは、いつ死んでも良いからですよ!
せっかくの人生 死を意識して その死の為に気を奪われたりしたくない
死を意識しての謙虚さより
それ以前に、当方自身学び舎だと自負しているから
なぜ、ブログ日記の走りでこんな話題を書いたかは
人は、いつ死んでも良いのです 自然であれば それが寿命だと
しかし、本当に死ぬときは、そんなことは考えないです 考えないうちに心臓が止まります。
何と言っても、息と心臓の鼓動が止まるので、死ぬことを怖がってもナンセンスな事なんですよ
確かに、深く考えてしまうと 死への恐怖の穴に陥ったように怖いけど
本当に死ぬときは、そんなこと何も考えはしないで、息が止まります
怖いものは何もないです。
昨年、母親を看取りましたが、しっかりした呼吸を前の晩からしていました
すでに昏睡に入っていたと思います。
当方目の前で母親を見てきたので、ほとんど怖がる様子もなく 大往生しました。
完全なる自然死です。
半月前から食べ物が食べられなくなって、餓死と言ってもいいくらいです
すると、お金がなくて食べられず、布団の中で餓死した人は
大往生だと思いますか?
餓死した人を苦しまないから大往生とは言いません あくまでも長寿
の老衰で苦しまないで自然に亡くなることを大往生と言います。
まずは、他力で命を亡くされるよりも、自然死 天寿を迎えたいとは
誰しも思うところだと思います
しかし、突然死、当方の父親のように交通事故死と言うのもあります
当方の人生で、目の前で事故死をされた人を何度か目撃したこともあります
数分前までは普通に生きていたが、自転車からの転倒や 車の衝突事故で命を落とす
こういうのは、ある種、運命でもあるので、避けられない と思うが
もし事前に自分の先の運命が分かったなら、それは避けたいものです
運命は、自分の意志力と行動で、決まろうとする運命を変化させることができます。
宿命ではない限り 運命は変化させることができる
例えば、危険なワクチンなどを受けるか請けないか? それは自己責任 個人の自由
なので、すぐ先の運命を変化せせることができます。
その先は、余命があったとしても、その運命は確実性はないので
死は誰の前にもみな平等に 確実にやってくるので
そんな気にしなくて良いと思います
こころの中をクリーンに 聖域を広げた人生を歩んでゆけば
まだまだ生かされてゆくと思います
もし、もうこれが寿命なのかと思った時 今まで生かされてきたが
そこで終わるなら いざ仕方がないです 誰の前にも死はやってくるわけで
それが早いか、遅いか? 人それぞれの命という時間を与えられているから
他人よりも早い寿命でも それは長さではなくて 心のありようで
成熟した人生を歩んでいると自覚ができると思います
人生は、長さではなく 心の成熟差であると思う
当方などは、最後まで正義から脱線しないようにした考えを持って
生かされていることに感謝して残されている時間を 自由気ままに過ごしたいと思う