建国記念日に墓参り

父親の命日 1964年2月11日未明

62年前の2月11日未明 父親33歳  母は32歳

当方5歳 姉7歳  回忌で言うと 63回忌

普通は33回忌で弔い納めをすることが多い

地域によっては50回忌を節目にして弔い納めをする地域もある。

当方の父親の場合は、はじめっから葬儀には参加していないし

実際父の遺骨の墓にお参りしているのは息子の当方のみです。

今思うと、当方は本当に父方の方なんですよ 因縁としては

 

グーグルストリートビューから 2019年の撮影のみ当方の先祖だ代と父親の墓石が見えます。

昔若いころに一人で行った
確かマイカーで行ったと思う
何度か行っている 最初は電車で、此処まで郡山駅から歩いてきたり

この時はマイカーで最後の墓参り もう来ないよと言いました。
で次の年に原発事故で、この辺界隈 高濃度汚染ホットスポット地域となったのです

なので事実上行けなくなったのです。
この地域に住んでいる人は撤退しなかったですよ
なぜなら国は放置したから

直ちに命にかかわることではないとか言って

しかし立派な墓だが
どんどんこの墓を管理する親族がいなくなってくる

実は当方

実はって(;^ω^)、当方本当はここの跡取り息子なんですよ
長男として育った父親の子供で、初孫の 祖母から言うと孫息子
で可愛がられていたのです。
名取のある祖母に舞踊を教わって市民会館で舞踊をご披露してます。

で62年前に父が

郡山駅周辺にスナック店を経営していて
62年前の2月11日未明 東京大田区ナンバーの大型冷凍車に突っ込んでしまったのです。

このマップで見ると、多分だが昭和通りの交差点

突然の出来事

当方の幼少期では、交通遺児です。

同乗者がいたと聞いているが
フロントは当方テレビで父親の事故後の状態を見たが
ボンネットと運転席まで潰れてました。
父親は顎をハンドルにぶつけて首の骨を折って即死

なので後部座席なら死亡は免れたと思う

同乗者というと、お店にいた人 多分葬儀の時に和服の喪服姿で
かなり多くの人が座っている中央の通りをゆっくり歩いて前方に父親の棺に向かって
罵声を飛ばし 小銭をぶん投げた 髪をアップした女性

憶測だが、父親の愛人です。

良い話をしていた矢先だったと思う

母親にも、母が父親に家族で東京で暮らそうと言っていたやさき

葬式に父親の愛人らしき女性がでていてしまっては母親の立つ瀬がないよね

で、母親は、父親ん生命保険金が下りてすぐに当方たち子どをを連れて実家の茨城県へ

行って子供を祖母に預け 母親は単身出稼ぎを余儀なくしたわけです。

東京へ行っているということだったが、最近聞く話では水戸だったようだ

水戸でホステス業をされていいたわけです。

 

母親の行動で、息子の当方 先祖代々の跡取り息子から縁が切れて

そのおかげで、父親系の因縁を引き継がなかったことで 当方67歳まで行かされていると思います

なぜなら、父親の前に長男がいて生後5か月で亡くなっていたのです。
祖母からすると、長男2名を失ったこととなります。
そして孫息子とは生き別れです。

なので、天然的な母親の行動は当方は良くも悪くも思ってないし

むしろ長生きさせてもらっているので、ありがたいなと思っています。

人生生きている間、いろいろ考えたりしてゆけるので、人生の楽しさを満喫させてもらっている

お金では買えないものを頂いているし

感謝しかないね

(*^-^*)

 

父親系統の知識は全然なしです。
別に知りたいとも思わない
母方の曾祖父は明治天皇の皇宮警察官だって、自慢もあるんだろうけど
それがどうしたの?
当方には関係ないわ\(◎o◎)/!
むしろ、母親系の因縁が嫌いで拒否ですよ(-。-)y-゜゜゜

母親は優しい母親でしたよ 性格は少し悪いが 喋りがうまくて 聞き入ったりしていた子供時代

今年初めて 2月11日にお参りに行ってきます。

 

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