聖母マリア様のメモリアルステージになった経緯

 

Ave Maria 演奏データは「Mioのぺーじ」のMioさんからお借りしております。2005年頃からのネット友達で、バイオリンの先生をされていた方です。現在消息不明
動画は、我が家のメモリアルステージで画像コントラストをあげて
ファンタジックにしています。聖母マリア像は縁あって長崎県から取り寄せたもので母親と愛犬がお世話になりました。

メモリアルステージになった経緯
元々、父親の位牌と仏壇は母親のところにありました。半畳スペースで2段の仏壇。
そして息子の私のところにも小さな仏壇と父親の位牌、そして先祖代々の位牌が30歳の頃からありました。
母親は80歳後半で介護のお世話になり、私も介護に通っていました。
母親が亡くなった後、父親の仏壇と一緒にできない理由があります。
「父親の位牌と先祖代々の位牌と仏壇、母親のものと私のものを、母親の納骨に合わせてお寺でお焚き上げしていただきました。」
そもそも父親と母親が結婚したのはお見合いからで、母親はお断りをしました。
嫁に入ると父方は旅館経営なのでお断りしたのですが、父親の方が諦めきれず恋文を送り続けたという押しの一手。
とうとう母親は父親の押しに負けて結婚。
案の定、旅館の嫁に入り休みなしで働かされていました。
館主は父親ですが、女将は祖母。
その祖母との折り合いが悪く、女中扱いをされ続けて8年後、父親はパブリカで東京行きの冷凍トラックに特攻。
父親の車の残骸がテレビにも報道され、まだ5歳の私はそのテレビを見ました。
母親は父親の保険金が下りると、両手に子供の手を取り、その場から夜逃げをしました。
という経緯なので(;)
父親の先祖代々の位牌と一緒にはできない。
という息子の計らいで、二十歳の頃の一人旅で長崎県のマリア園へ観光訪問し、小さなマリア像を撮影しました。
その写真は40年過ぎてJPGデータとなり、私のオリジナルソングの背景画として使用していました。
母親の介護も、主治医から「もうそろそろですよ」と携帯に電話が来て、夏のお盆入り。
迎え火の中で考えて、認知症も酷い母親のために、長崎県で制作されるあのマリア園で見た聖母マリア像を作る工房を探し当て、オンラインで取り寄せました。
認知症で悪魔のような醜態をさらす母親が清められるように。
聖母マリアへ罵声を飛ばす母親。その実、女学校時代はミッションスクールに通っていて、洗礼を受けたと言われていた母親でしたが、マリア像を見て「気持ち悪い、持って帰れ! ここは私の家だ!」と息子に罵声を飛ばす。
聖母マリア像を部屋の片隅に設置し、介護ベッドに寝ている母親の方角に向けていました。
やがて母親は静かになり、夜な夜な介護ベッドを覗くと、なんと母親は舌をベロンと出しているのです。
これはと思いました。そうです、聖体拝領を受けていたのでした。
まざまざと目撃してしまいました。
母親が聖体拝領を受けているその向こうに、こちらを見ている聖母マリア像。
そして母親の最後の朝。最後だとは神様しか知りえません。
朝7時に聖母マリア像を見ると、神々しさが感じられて、聖母マリア像が光って見えるのです。
6畳間の角に安置して比較的暗いはずが、神々しさで光輝いて見えるのです。
もしかして降臨されている?
その時スマホで撮影しました。9月1日午前7時撮影。
8時にはヘルパーさんがいつものように訪れて、もうやることもなく、私と世間話を、介護ベッドに寝ている母親を間にしてしていました。
70歳後半のヘルパーさんの経験談や葬儀の話などをするので、「そういう話は母親の手前やめましょう」と私が言うところで、
「お兄ちゃん、まだお母さん大丈夫だよ。しっかり息をしているし」と言うさなかに、母親の呼吸の変化が始まりました。
「あ、この呼吸の仕方はもうそろそろだ」と主治医に聞いているのです。
顎を引くような呼吸の仕方は、間もなくです! と言うと、ヘルパーさんは時間が9時を回っていたので帰りました。
私は悟り、まだ何も用意していない仏壇への花を、顎呼吸を始めたところで、駅前のスーパーへ歩いて7分、花を買いに行きました。
もしもこの時間で母親が息を引き取ってしまったのなら、母親と息子の縁はそれまでなのだと、死に目に会えなかった縁ということだと心に思いながら、焦らず花を買って戻り、父親の仏壇に切り花を添えて、お線香を焚き、声を出してこう言いました。
「母親〇〇に関係する霊たちよ! これから〇〇は霊界へ行きますので、お導きよろしくお願い致します。」
と、母親の身近なる霊に向かって号令を掛けました。
母親の兄弟7人も2名残して亡くなっているので、関係する魂は多いです。
そしてしっかり祈った後、介護ベッドに寝ている母親の横につき見守っていました。
まだ呼吸は顎を引いて戻して、引いて戻してと顎の上げ下げ運動をしていて、それが間もなく止まりました。
息が止まったのです。
私は冷静に用意していた聴診器で母親の胸に当てて無音を確認し、腕時計を見ると9時50分。
臨終 9月1日 9時50分。
すぐに主治医に2回目のメールをして臨終のお知らせと時間を伝えました。
実は9時50分は私の出生時間なのでした。
主治医が来て死亡診断書を書いてくださり、時間も9時50分と記されていました。
主治医が「私どもも何度も経験することですが、慣れるものではありません」と鼻をすすりながら言うのを見て、私は初めて気が緩み、涙がこみ上げてきましたが、人前で涙は見せたくないので、なんとか零れないように我慢しました。
主治医が去るとき、玄関越しで私は深くお礼をしました。
「本当にありがとうございました。今まで主治医が決まらず彷徨っていたので、良い主治医に巡り合えて母親の体調も安定していたのです。本当にお世話になりました。」と感謝しました。

その後、主治医からの連携で、いつも来られる訪問看護師さん2名が、すぐに駆け付けてくれて、母親のエンジェルケアをしていただきました。
私が一人になる時間がないほどの流れで、看護師さんに聞きました。
「良い葬儀屋さん知りませんか?」と。
するとすぐに紹介していただき、その場で聞いた葬儀屋さんへ連絡しました。
エンジェルケアが終わって戻っていった看護師さんたちとの間も開けずに、葬儀屋さんが大きなドライアイスを持参して来られました。
9月1日、まだまだ暑い時期でした。
そして夕方に霊きゅう車が来られて、母親はその日のうちに安置所へ移送。
私は肉親の姉と、母親の唯一の妹へ連絡して安置所の所在地を伝えました。
姉と叔母は9月2日、母親の92歳の誕生日に安置所でご対面です。
コロナ禍ということもあり、死に目に会えなかった二人です。
叔母の方は家族に「行くな!」と言われたとかで、生前の面会を断ってきました。
いわゆる、私と母親はワクチンをしていないということで、感染すると誤解してのこと。
そのため看取りをしてあげられなかった。
そして一人娘の姉。
二人とも地方からなので、道中の感染も考えられるため、行っても直接実家入りはせず、ホテルに滞在し、コロナ感染のテストを受けて陰性と結果が出てからでないとならないと姉は言っていました。
危篤でも駆けつけないという意思。
みんなワクチンで頭どうかしているね。

○火葬の日
3日、母親の火葬式です。
葬儀屋さんに火葬の日取りを調べてもらうと、5日は公営で無料。
3日は民間で7万円。
「どうしますか?」という問いに、
流れに乗って、冷暗所で母親を待機させられないので迷わず3日に。
3のつく日は良いので、迷わず決めました。
火葬の日、その火葬の担当者。
母親の遺骨を素手で取り、骨壺へ説明しながら収納する人の名札が気になり、姉が名前を聞くと「鈴木」。
実は葬儀屋さんの担当の方も鈴木。
姉も鈴木。
叔母も鈴木。
こんな偶然ってあるものなのでしょうか?
私だけが〇本。
父親の姓ですが、戸籍は新戸籍です。
実は母親は再婚して、東京で私たち姉と二人、母子家庭から再婚し、その再婚相手は鈴木。
2年間だけ私たちも姓は鈴木でした。
調停後離婚。
長男として姓はどうするかと聞かれ、実の父親の姓を新戸籍として復活したのでした。
6畳一間で3人家族。私中1、姉中3。
きっと「母親に関係する霊たちよ」の中に、かつての鈴木の霊が来られていたのでしょうか?
鈴木のオンパレード。
6畳一間でのアパート生活から都営団地に当選してから45年間。
都営団地といえども母親のお城です。
母親が亡くなる時はこの部屋で看取ってあげたいと思っていました。
知らない病院で人生を閉じるよりも、45年間も住み慣れた部屋で最期を迎える方が幸せだと。

〇納骨と遺品整理
母親の遺骨を母親の部屋に安置して、納骨をどうするか。
誰も相談相手はいません。
ネット検索をして、「49日納骨も悪くはない」という記事を見て決めました。
実は都営団地は契約者が亡くなると、49日までに部屋を明け渡さないとなりません。
資産として残る家ではないので仕方がありません。
49日納骨を目指し、母親の45年分の遺品整理を息子の私一人で。
大きな手押し台車を購入して、すべての遺品を主に粗大ごみとして出しました。
中には羽毛掛け布団など値段をつける余裕もないのでジモティに出品し、引き取りに来てもらいました。
ほとんど無償です。
母親の衣類などは、戦争経験者である昭和5年生まれ。
物のない時代を越えてきた人は、物を捨てないのです。
かなりの衣類があって、若いころに着ていた洋服とかもありました。
それらを、母親の貴金属入れの箱の引き出しを開けるとオルゴールが鳴る。
そのオルゴールを鳴らしながら線香を焚いて、母親の衣類をリサイクルごみとして袋に詰めました。
すべてです。
なので、母親の昔の写真が見れません。
写真撮影で着ていた洋服もすべて処分したので。
49日納骨の日の頃には、ほとんど部屋はがらんどうとなりました。
そして遺骨を母親の部屋に安置しました。

〇愛犬と共に
ここまで、主治医に「もうそろそろです」と言われた8月のお盆13日から泊まり込みで母親に付き添い、
その13日から高齢の愛犬と共に実家入りしたのですが、私一人ではなく、愛犬という存在が大きな気持ちのよりどころとなっていました。
愛犬と一緒に母親を看取れて本当によかったです。
その愛犬は、母親の納骨から2か月後に虹の橋を渡りました。
愛犬を引き取った日が11月15日。
愛犬が亡くなったのは11月19日。
4日間寝たきりで水も飲めなくなり、死を待つだけで、苦しめないように安楽死も考えてネット検索をしました。
ところが、安楽死は自然死ではなく、愛犬のためにはならないと学ばされました。
「どうか愛犬を苦しませないでください」とマリア様に祈り、
11月19日、朝から愛犬を抱いていました。
そして9時50分。
テレビのデジタル時計が9時49分から50分に切り替わった時に、愛犬の息は止まりました。
9時50分は私の生まれた時間です。
母親も9時50分。
愛犬も9時50分。
私は愛犬の息が止まった瞬間、母親の時は泣きもしなかったが、愛犬の場合は子供のように声を出して泣きました。
泣き嘆きました。
こんなつらく悲しいことはない。
いつも一緒だったので、人以上に悲しみは大きなものでした。
愛犬が虹の橋を渡っていって、やっと3年。
この3年間、悲しみは発作の如く襲い掛かってきたが、時間は少しずつ癒してくれるようです。

〇聖母マリア様のメモリアルステージ
毎日朝晩と、自分で自然に出てきた言葉で祈り、切り花は3年間絶やしたことはありません。
お供え物も愛犬のフードも。
愛犬の遺骨は、聖母マリア様に抱かれて虹の橋へ渡っていったので、ここが愛犬の霊園です。
私が亡くなった後に、愛犬の遺骨を私に撒いて火葬をするように遺言に明記しておきます。
きっと計画通りに物事は進んでゆくでしょう。

私は無宗教者であり無神論者ではありません
霊的な使命があれば、いつでもそれに従う体制でいます。

10月1日の残

昨夜、6畳間の半間の押し入れの布団は納骨後と
決めていたが、なぜなら納骨前49日までお骨を安置しているところなので
しかし、ずらして 布団を移動させればいいだろうと
そうすれば今度の粗大ごみ予約日に出せる

ということでお骨を乗せているこたつをずらして
布団を3畳間へ移動させ整理した

 

上部の布団9点と

5段チェストで10点の粗大ごみ

布団もほぼ整理終了

まだある家電

安物の電子レンジ 中サビがでている
これを無料掲載^^;

粗大ごみは630円

 

尻穴洗い器 これ欲しいです
当方は毎度ガス使って温水シャワーでお尻を洗っているんだが
プロパンガスの効率が悪くて、すぐお湯にならない ガス代がかかるんです
で、この便座はユニットバスの便器に合うのか?
操作盤のスペースがあるかどうか?
なんかこんなに空いてなかったような?

とにかくペーパー拭きは慣れてないので^^;

処分 ジモティに掲載する

 

ジモティ行き

 

 

これ自由自在に首が回る リモコン付き ジモティ行き

 

 

IH電磁クッキングヒーター ジモティ行き

 

この炊飯器は優秀
当方が買ったもの といっても 実家の家電はすべて当方が買い揃えているが^^;
これは自宅へ送ります
自宅ではタイガーのを使用しているが やはり圧力IHにはかなわないな!

この前バラして中のゴキブリをきれいに掃除した

これも自宅へ7Kg

買う時に 当方に回るように良いものを買ってます^^;

32インチテレビ ジモティーか フリマに8千円で掲載します
これはメルカリで8千円で購入した中古だが
寝室に置いていてほとんど使用してなかったというテレビで
きれいだし映りが良い ノイズの線も出てないし8千円は買でした

実家の元々のテレビもこれと同じでした。

欲しい方がいれば8千円の着払いで送りますよ 退去寸前の頃

サイドテーブル2個 あります。

ななちゃん おくすり飲んで ぼーとしてて 平和に寝てます

ふかふかのダウンケット もう何度も洗ってます
ヒート中で あちこち血がつくんで でも水に溶けますよ

いま49日の納骨までの台座にしているこたつ
こたつ未使用

これも最後ジモティーに掲載

0円にすると わんさかお問い合わせが来ます

ちなみに、お風呂のチラシを104枚 104件投函しまわったけど
昨日愛犬の発作中の時に お風呂のチラシを見たと電話がきたが
今取り込み中なので 後にしてくださいと 切ったが もう来ない

すごく控えめな 恐る恐る話をしてきている様子なので
こういう人は、もう来ない

だいたい当方の方も自宅の固定電話にくる電話は詐欺が多いのです
なので、受話器をとってもこっちからなんとも言わないで
相手に声を出させる応対の仕方なので

不信感も持たれるかなと思うけど
まぁ 縁がない 別に解体で4万円出してもいいしってな感じです

5万円入るか? 4万円支払うか?

でも、買い手がいて取引をして13万円前払いとしてもらって
移設工事スタアートした後の保証はないので
後々不具合が生じた場合 トラブルが発生するかもしれないね
修理代出せとか いや 契約時 保証なしと言ったとか 言わないとか

それを考えると 4万円支払って撤去してもらったほうが
スッキリするね

こういうのはあまり損得考えていてはダメ!

そういう感じで

10月末までには3DKを空っぽにできるかと思う

ちなあみに 仏壇はお炊きあ上げなので 搬送用ダンボールを用意してある

プチプチ梱包材も40巻あるので、ほとんど抜かりはない!

最後に 赤帽引越屋を頼んで エアコンと家電製品類を連れ合いさんの
団地へ運んでもらって終了かな?

ほんと色々と大変だった!

それを言うのはまだ早い^^;

 

ちょっと聞いてくださいよ!

遺品整理で、今ほとんどが空っぽ状態となっている時に
今、姉からメールが来て

そういえば・・と来たもんだ!
………………………………………………………..
そういえば 四畳半の壁際の片隅にある番傘は
捨てずに取っておいてね お願いします。
………………………………………………………

今このメールが着信してきて 驚いたよ\(◎o◎)/!

どういう神経しているの? の次元を遥かに超えてるよ

ただ単に実家を片付けに来ていると思ってんのかね?

まともに付きあってはドラブルの元だな

番傘 おふくろが差して天国行ったぞ!

姉は断捨離中だと

多分そうだろう 弟の当方が母親の遺品のすべてを整理処分
しているところで、じぶんはいっいたい何をしているか?
心の整理を兼ねて、不要なものを処分しているのだろうと思う
それも自分のためだろう

しかし、母親の遺品を、これだけ送って
後は断捨離中だから送らないで

て、ふざけるな!

メールでは言わないです 今怒らせると 大切な納骨式を控えているので

馬鹿野郎こっちの身にもなってくれよ!

ほんとわがままな娘だな

こっちは8月13日から実家に泊まりがけで 母親の付き添い
そして看取り
そして、遺品の整理と 納骨する墓を選んで契約って
姉に相談もできず 全部一人でやっているんだよ

私は実は坐骨神経痛で 遺品整理できない 業者にまかせたら

一日で整理できるよ

って、ほんと 情けないよ

いったいなんなんだ? こいつは?

お姑ではなくて 実の母親だろうに

弟の当方よりも 母親と記念写真に収まっている写真が膨大な量
あるのに

当方などよりも長きにわたり色んな思い出があるだろうに

認知症でわすれたか?

弟の当方は、母親の人生晩年 介護申請からずっと面倒を見てきたが

姉に不服ありだ!

身辺整理の断捨離なんぞ 納骨式の後にしろよ!

当方は以前からおふくろさんに係わることはすべて

お袋さんの為に考えて動いてきたが

今でもだよ

そりゃ息子としての義務と 使命感でおふくろさんに係わる最後の

締め括りまで頑張って 整理しているんだが

自分の為ではない

正直早く我が家に戻りたいんだよ

元々姉家族のワンコだったナナちゃんも 当方と一緒に
てんかんを患っても乗り越えて

当方の付添で頑張っている

そんな大切な期間で自分の為の不用品整理をしているって

次元が違いすぎる!

二人姉弟として ありえないよ  姉弟として 心の痛みを分かち合いながら
母親の遺品整理をするって 当方は思っていたんだが 完璧に裏切られて

実は坐骨神経痛で 同じ体勢ではいられない

なんて言っていたが

確かに坐骨神経痛も しんしん痛くてきついのは経験しているから
わかっているけど

だったら、動けば良いんだよ いろんな体勢をして 神経に触らないように
してゆけば普通に動ける

確かに神経のツボは痛くなるが

当方は長い間椎間板ヘルニア痛で10年以上我慢して仕事をしてきたが
10分も歩けない 痛くて 屈んで神経を伸ばさないと足がしびれて
歩行困難となる 電車で立っていられない

しかし仕事は体を使う仕事なので、屈んだりすることで圧迫される神経が
開放されるという毎日で仕事はできたのです。
立ったままの仕事だったら 出来なかったね 警備員とか 無理

現在は腰椎すべり症で、椎間板ヘルニア痛と同じく
神経が圧迫されたままなので 足がしびれっぱなしなのです

少々の動きも足腰に来て

横たわりながら動いてるのです

当方は、甘いこと言ってられない 代わりがいないからね!

ほぼ空っぽ!

粗大ごみ 金曜日の収集
10点上限

 

敷布団5点

 

全部で10点

赤い扉のものは当方が18歳の頃アパート生活で使用していたものです

ベランダの納戸の奥に当方が使用していた14インチの白黒テレビ

家電リサイクル法  めんどくだね^^;

 

バラバランバラして 燃えないゴミに

 

 

40cm以上は粗大ゴミ

ブラウン管
塗装の養生材を巻いて

叩いて割って
燃えないゴミに

真空なので割れれば空気が入る音がします
その後、確実に割ります。

しかし ブラウン管とか液晶とかよく考えるね(^o^)

 

この網付き台車 よく働きました
これがあったから 当方一人で出来たんですよ

中古で1万ちょっとだったけど1万円以上の価値がありましたね

もう不要なので、次の方へお譲りします

なるべく赤が出ないように

あ、まだ押入れ半間に布団があるので

10月19日以降 過ぎたら、だから21日の粗大ごみ予約で

完全に粗大ゴミは終了 カーペット2枚も剥がします

仏壇も 梱包材のダンボールを用意しているので

そして、3ドアの冷蔵庫はクリーニングしてジモティーで無料掲載

3ドアは使い勝手が良いので、欲しい人いっぱいいますよ

そして、お風呂は

チラシ印刷100枚専門に頼んで印刷してもらい

104件配ったが、まったく連絡がない

さすが都営団地 13万円も出すカネがない?^^;

金出すなら現状維持がいい!

ということで、4万円払って解体してもらいます

そして、7Kgの洗濯機は、当方の部屋に輸送します

洗濯機はあまり欲しいとは思わないんだが 苦労して買ったし

売るにしてももったいない

洗濯の音がほとんどしないので 深夜でも洗濯ができるとおもう

東芝の静音より 静かですよ

当方は汚れの取れない全自動洗濯機が嫌いで 手洗いと 脱水機単体を使用するスタイル

が板についているので、脱水機も使ってゆこうと思う

7Kgの洗濯機なので、毛布も洗えるので 今までバスタブでの足で揉み洗い

が省けます^^;

流石に毛布は脱水出来ないので 今度は便利になる

でもね、すぐ近くにコインランドリーがあるんだけどね(^o^)

 

 

遺品について

当方の自宅のクローゼットの上部棚に

昭和39年に亡くなった親父の遺品の背広2着

あるんですよ~~(T_T)

以前おふくろさんが、親父の遺品の背広当時着ていた物
何かのきっかけで
つまり、親父の故郷の家に住んでいる親父の妹
と、当方のせいで繋がりができてしまい

叔母から送りつけてこられた遺品

長い間実家の押し入れは天袋に収納されていた

ある時に、show 父の遺品を処分するが、いいかい?
て、きいてきた

当方にとっては血の繋がった紛れもない父の遺品

古着リサイクルに出すというので、ちょい待ち!

で、親父の遺品の背広を自宅へ持って帰りました

持って帰って 何することもなく クローゼットの上段の棚へ安置

遺品といえども、なんの意味のない!

今回、おふくろさんの膨大な量の遺品をすててきたが

なんの意味もなく所せまい部屋に安置などもう一回言うけど なんの意味もない!

遺品など無用だ! 自分でこれは捨てられない 捨てられない思い出がる

でも自分のhネヤのスペースもあるので、あれもこれもという訳にはいかない!

当方今ならもう 親父の遺品の背広2着 昭和30年代の代物です

もう簡単に処分ができます

処分というか 手元から放せる!

ほんと、無心に母親の遺品の洋服をリサイクル袋に詰めているわけではなくて

これ着ていたな~と思いながらですよ
当方は非人情人間ではない

その後に、またカメラ屋の無料アルバムが出てきて

見たら、母親の昔の披露宴で来ていた洋服が

あ、処分したやつだ!

と、見るに忍びない

まじ辛いですよ その写真は見れない

当方は、プラシ思考人間だから そういう面で鬱とかなったり
精神面で倒壊してしまうことは全くないが

それでも、辛いですよ~(T_T)

これね、羽毛掛け布団を圧縮したものです
羽毛85のフェザー15 内容分1.4Kg
当方がもらったものと同じ掛け布団

アルバムも入れて

もうすぐ送るわ!
送ったあと 姉の判断で棄てようがどうでもいい

当方はすてられない 普通なら身内で分けるようなものだよね

叔母にメール送信してみた!

 

明日古布回収日

3畳間の押入れ、以前まではおふくろさんのスペース
長い間ここで寝ていたのです

母子家庭3人のときは、姉が6⃣畳間で2歳下の当方は
四畳半でおふくろさんが3畳

姉はその頃、田中千代って洋裁学校に通っていて
6畳のスペースで洋裁をしていた

遺品の洋服は、実はまだこの中にありました

右手に衣装ケース3段あって

そして布団の隙間を埋めるように、衣類をクルクルとロール状にして
結束するものが何個も

そっくり半透明に袋に収納

 

数えたら70リッターの袋13個

その中から、以前孫のエリカがダウンの半纏をバアバに
この子はずっと豆にバアバを慕って絵葉書やらいろいろ
送ってくてたのです
ダウンの半纏も袖のないやつで、それをヤッコと言うんだが
2019年の頃から紛失したと騒いでいたのです
当方など、何処かで脱ぎ忘れてきてしまったのではないかと思っていた

それを今回発見、やはりクルクル巻かれて結束してあり
解いて開いたら前のほうがどうも汁系を零したようで汚れたままでした

すぐ洗濯をしてみたら
汚れは取れました

メールで、姉にお知らせして これはエリカがバアバへ送ったものだよ
送ろうかというと
違うから送らないでというのです。

あそう、じゃ 処分していいのね?
と聞くと 無視

 

姉っが言うには、エリカが送ったものは赤いベストだという

今初めて 赤のダウンと聞いて
赤色が記憶があったのです

クルクル巻いてハンカチで結束していた
すでに詰めた70リッターの袋を開けて赤を探した!

赤のダウンってこれのことか\(◎o◎)/!

もう~捨てるところだった!

姉が言うのは、2019年 ナイナイとおふくろさんが言っていて
誰かに盗られたとかおふくろさんが言っていたのです

それが出てきて、生きているときに出てきていたら良かったと
お骨のそばに納骨まで置いといてと言っていた

 

しばらく姉の言うことを聞いてあげて置いといたが
クリーニングに出しました。

もうそばに置いとかなくて良いのです
土曜日にあがるので
その後姉のところへ送ります。

ヤッコの方は姉は知らないのです
当方は見て知っている

当時当方は本場の半纏を大晦日に実家へ持ってゆきプレゼント
したんですよ
気に入った様子だったが
孫のエリカからも生地が薄くダウンの半纏が送られてきていて
面白いことに

当方が実家へ行ったときに、エリカの半纏を着ていたのです
暫くすると、当方がプレゼントした半纏に素知らぬ顔をして着替えて
出てきて
そんな気を遣わんでも良いのになと思ったことがあった^^;

エリカのダウンのほうが軽くて気に入っていた様子だったのです
それがいつの日か紛失してしまい探しても見つからなかったのです

前が汚れていたのは、キッチンで汁物を丼に入れていた時に
丼がひっくり返って全面にかかったのです
それを慌てて脱いで、どういうわけか丸めて結束して
押し入れにしまったのです。(認知症で汚れていることを忘れたか?)

赤いダウンベストもロール状にしてガーゼのハンカチで結束して
しまっていた

大切なものだからこそ、ロール状にして結束してしまっていた。

いわゆる タンス預金感覚と同じです

大切なものは押し入れのタンスの中に仕舞う習性

なんだろう

当方としては、最後の最後で なんか使命を果たしたって気がしてならない

当方がいなかったら、全てに関して簡素化した流れとなっていただろう

まだ納骨式と 部屋の引き渡しを控えているが^^;

8月13日から ずっと 実家にいるのです

しかも おふくろさんが大往生した場所が定位置で

愛犬のななちゃんと

 

おふくろさんが寝ていた胸のあたりですよ
使用していた毛布だし

これ最後に捨てるのは 首を傾げるよ

 

これだけでも 相当な供養となってるよ

ずっとここで寝て ずっとここが定位置で
PCで操作している

遺品及び家財道具の処分は一気にはできない たった一人でやって
粗大ごみと 燃えるゴミ 燃えないごみ 古着 古布 古紙 で

自治体のルールに沿って 遺品の処理 家財道具の処理をしている

そして、ジモティー 0円だと簡単に声がかかるので

粗大ごみとなるところを 無料で引き取りに来てくれる

これは、正直助かるが、ある意味哀しい0円取引だ\(◎o◎)/!

ただでないと回収に来ない!

アルミ製で軽くぴかぴかな 車いす 5000円で声かかりました。

まぁ 売れるだけありがたいと思わないと

そして、世の中へ貢献する気持でご提供しないとね